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11月, 2022の投稿を表示しています

本日、テニススクールでのコーチからの注意事項。平日午後3時過ぎのはま寿司は閑散としていて、リタイヤしたジジイの楽園。

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午前中はテニススクールに行きました。コーチから受けた注意事項を自分のために記録します(先週との重複事項が多い)。 ①常に強く打とうとして、振り遅れている。ネットするときは力み過ぎ。 手首を脱力する こと。 ②球に集中し過ぎて、球の弾み方を予測していない。相手のヒッティングフォームを見て 球の弾み方を予想し、前後に体の位置を移動する こと。 ③球に近付き過ぎて、上手く打てない。足を動かして、 球との距離を一定に保つ こと。 ④一発決め球でフィニッシュしようとして、失敗している。 つなぐ球を打てるようにならないとダメ。 チャンスボールが来るまで、先ずは落ち着いてストローク を続けること。 ①~④まで全て図星で、恥ずかしい限りです。忘れないように刺青にします(ウソ)。 私はテニス歴50年なのに、2022/7月末のリタイヤ以来、同じ注意を同じコーチから何度も受けています。このまま上達せず、一生ずっと初心者レベルのテニスを楽しめそうです。良かった。「生涯、テニスは初心者レベル」と墓碑銘(Epitaph)に書いてもらいます(ウソ)。 お昼ご飯は、午後3時頃、自転車で近所のはま寿司に行きました。平日の中途半端な時間のはま寿司は閑散としていて、とてもリラックス出来ます。将にリタイヤしたジジイの楽園です。先ずは美味しい粉茶をじっくり味わう贅沢が楽しめます。9皿990円食べました。私は貧乏性なので、110円の皿しか注文しません。以下は全て110円の皿です。今日美味しいと思ったネタは以下4品。残り5品は、私の感想としてはお勧め出来ないので掲載しません。 シーフードサラダ軍艦。定番の美味しさです。こういうネタを美味しいと言える、見栄を張らない自分をカッコイイと思います。最近、トビッコが高くなったのか、トビッコ軍艦を見かけないのが残念。トビッコって言葉の響きがイヤらしくて好き。 真イカ。九州に住んでいた時、捌きたてでまだ動いている、透明でコリコリのイカ刺身を何度も食べたけれど、実は新鮮なイカは味が無い。充分に寝かせた白くて柔らかいイカは、甘くて美味しい。このイカも美味しかった。 サーモンのオニオンとマヨネーズ載せ。サーモンは最近、抗生物質漬けだから産地の人は食べない等々、随分と悪口を言われているので暫く食べていなかったけれど、久しぶりに食べたらとても美味しかった。高価で偉そうにしている、成り

私の好きな日本語 中島敦 山月記。優れた文学で我々は幸せになれない。自然科学の恩恵に感謝すべし。馬の耳に念仏。 

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隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃ところ頗厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山かく略に帰臥し、人と交りを絶って、ひたすら詩作に耽った。 ⇒今日、我々が文化的で健康な生活を満喫しているのは、環境衛生の向上と感染症予防の充実による感染症(コレラ、ペスト、スペイン風邪等)の克服、化学(尿素)肥料・農薬・品種改良の進歩による食料増産のお陰での栄養充足、高度な医療進歩によるウィルス・細菌感染症(結核、肝炎ウィルス、ピロリ菌等)の制圧、そして重化学工業を始めとする製造業全般と最近のIT産業の発達による生活利便性の向上のお陰です。これらは全て自然科学です。 現代の我々は文化的で病気知らずで、乳幼児の死者は極めて少なく、夏は涼しく、冬は暖かく、お腹も満ち足りて暮らしています。しかし、上述の 自然科学の発展が無ければ、我々の半数は死んでいたのです。 1900年代前半までと比較すると、我々は夢のように幸福な時代に暮らしています。 私が敬愛する中島敦の名著 山月記の主人公が人生を捧げたのは詩作です。しかし主人公は不幸でした。中島敦は喘息で苦しみぬいて、1942年に33歳で亡くなりました。中島敦も又、不幸でした。優れた文学で人々は幸せになれません。 1900年代前半は、哲学と社会主義が世を支配しました。それ以前も、世界では人文科学・社会科学が幅を利かせていました。しかし世界の大多数の人々は不幸でした。 自然科学の恩恵のお陰で今日の我々が幸福になったのは明らかでしょう。 現在の大多数の人々の身の程を超えた幸福な日々を考えれば、我々は1900年代以降の自然科学の進歩と、自然科学が幅を利かせ始めた1900年代後半以降の世の中に感謝すべしと思います。 でも近年、罰当たりにも人文科学・社会科学と自然科学をごちゃ混ぜにした挙句、自然科学の恩恵を否定する、新手の馬鹿が現れました。国際機関の利権と白人優位思想でお馴染みの欧州が放つ鉄砲玉、トゥーンベリ女史です。 トゥーンベリ女史、じゃあ貴方は感染症に掛かって、乏しい食糧で栄養失調になって、結核で苦しんで、電気も暖房も鉄もプラスチックもPCも無しに、北欧の寒い森の中で美しく暮らしなさい。 映画「みじかくも美しく燃え」1967年作 みたいで憧れちゃうな。頑

贅沢な不満。2020年~2022年7月 中国杭州における食生活。

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  太平洋戦争の日本兵士の死者数は213万人ですが、悲惨極まりないことに、餓死者はこの内100万人以上でした。 これは日本軍の作戦責任者だった参謀達が兵站を無視したことが原因であり、これら餓死した100万人以上の日本兵士の無念を思えば、のうのうと長生きした挙句に、昨今の日本における極めて小幅の物価値上がりのような些末な事柄に不平不満をグダグタ言っていると、天罰が下ると思います。食べる量を減らせば良いのです。 今からでも遅くないので、これら参謀達の墓をあばいて、餓死した日本兵士の無念を晴らす憂国の志士は居ませんか? さて、2020年の杭州赴任から2022年7月の帰任までの間、中国での食生活がどんな状態だったかと質問されることが多いです。仰る通り、コロナによる外食規制が広がると共に、私が住んでいた杭州郊外の街でも中小飲食店は次々に閉店して、外食の選択肢は減って行ったのですが、自炊をしていれば何ら問題ありませんでした。 炊飯器と水とお米と副菜(何れも中国製でOK!)があれば、我々は永久に幸せに暮らせます。繰り返しますが、 幸せです。異論を唱える者には上述の通り天罰が下ります。 中国では日本のAmazonのような通販(淘宝がNo.1かな?)が大変に発達しているので、社宅マンションが外部の通販から隔離されなければ、食生活には何ら支障がありませんでした。以下、通販で数えきれない程に何度も購入してお世話になった食材の数々です。 ①どん兵衛、納豆、醤油、メープルシロップ: 日本製のどん兵衛は日本円で300円/一つ位の高級品でしたが、これで立派な夕食になるという優れ物でした。納豆(日本製と銘打っているが、日本で見たことがない怪しいブランド)は冷凍品で味は酷いものでしたが、これがあればご飯でもトーストでも、ご馳走に早変わりです。 自炊用のお米はこの「中国産秋田小町」が美味しかったです。中国産で秋田小町???ですが、商標登録については許してやって下さい。こんなことでいちいち怒っていると中国では怒り疲れてしまうので、生きて行けません。 なお、話が脱線しますが、日本以外の国では生卵が食べられません。2022年に日本に帰任後、朝食に納豆卵ご飯を頂いた時、嬉しさのあまり落涙するところでした。 醤油(キッコーマンなど)は、下の②に述べるナチュラルチーズを醤油漬けにして、ご飯のお供として愛用しており

Luchino Vinsconti監督 「Death in Venice」 有名だけど駄作。美は儚い。

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この1971年作の有名な映画は、1900年代前半の第一次大戦前、欧州では辺境貴族でさえも豊かだった時代が舞台です(後半にペスト流行が出てくるので、この時代だと推測します)。 グロテスクな高級家具を揃え、押しつけがましい生花を過剰に配置した豪華絢爛たるホテルセットの中で、ベネチアへ夏の長期滞在に訪れた、もう直ぐ没落する上流階級の女共(女主人、および子供の教育係の女)の振る舞い・観光地向けの高価なドレス・特注の大げさな帽子、女共とその子供達のベネチア海岸での贅沢かつ退屈な生態、ダイニング待合室の4重奏演奏家の聞くに堪えない調子外れの演奏、そしてホテル従業員の田舎芝居のような大袈裟な顧客対応など、悪意ある描写が延々と続く、Luchino Visconti監督の駄作です。 ストーリーとは関係が無いこれら執拗な描写は、Visconti監督が同性愛者特有の選民意識(高級好み、田舎者嫌い、女嫌い、健康嫌い、努力蔑視、俗物嫌い)をさらけ出したものです。変態監督は気色が悪いです。 主人公(ドイツ人の老作曲家)本人、およびホテル従業員とその他の卑しい者共はイギリス英語(ラテン語由来の古臭い表現が多い)で会話して場面は進んで行くので、この映画はイギリス・アメリカ市場を目当てに作成されたものと推察します。 しかしながら、準主人公の美少年(Bjorn Andresen)とその家族等の脇役からは、フランス語・ロシア語等が途切れ途切れに聞こえる程度です。彼ら出演者のセリフはゼロです。主人公と準主人公以下脇役の間は言語的にも隔絶しており、コミュニケーションがありません。この映画は主人公の独白劇です。 美少年は、着飾って主人公の前を通り過ぎるだけの「美少年人形」です。エッチな動画のAV女優だって、少しはセリフがあります。この映画は訳が判りません。 主人公は音楽家ですが、新作に対してドイツ観客の囂々たる非難を受け、ショックのあまり神経衰弱に陥って、独りでベネチアへ夏の長期静養に訪れました。残念ながら彼の美の才能は尽きたのです。美しい妻との間の娘を病で亡くしました。高級娼婦の館で 極めて美しく教養豊かな 娼婦と合体しようとしても不能で、馬鹿にされます。才能が尽きた芸術家に良くある話です。八方塞がり、と言う奴です。 同じベネチアのホテルに長期滞在している一家の美少年に、主人公の目は釘付けになります。自分に

失われた時を求めて プルースト著。新富町やよい軒のやよい麺 ルーツは中国杭州の高菜麺かしら?芸術の要諦は過剰(In Excess)にあり。

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中国杭州に住んでいた時、中国人同僚のご厚意で、杭州旧市街の観光に連れて行って頂いたことがあります。私は中国7年間の駐在勤務中、一切観光をしなかったので、これは貴重な体験でした。 そもそも私が中国で一切観光をしなかった理由は「未知との遭遇に心を揺さぶられることに疲れてしまった。」という、一般的には理解し難いものですので、説明は割愛します。 杭州旧市街で昼食のために有名な料理店に入りました。その店は、辛子高菜炒めが乗った汁麺が有名とのことでした。 フランスの作家プルーストの著作に「失われた時を求めて」があり、その中で、マドレーヌを紅茶に浸して食べた瞬間に、昔の幸せだった頃の記憶が蘇るという有名な一節があります。同様に、私は杭州で辛子高菜炒め麺を食べた瞬間、「これは新富町やよい軒のやよい麺じゃん。」と昔を思いました。とても懐かしい思いでした。 残業中の夕食のため新富町やよい軒に毎晩通っていた、会社で奴隷同然の下働きの独身20歳代・1980年代後半・横浜郊外の薄汚い独身寮住まいの私が幸せだったかどうかは客観的に疑問です(下らねえ残業で、徹夜したことすらあった)。しかし主観的に申しますと、当時は心に迷いが無かったという理由により、悠悠自適のフリーランスの既婚60歳代・2020年代・都内のキレイな自宅一戸建て住まいの現在の私より、当時の私は精神的に健全だったと思います。 新富町やよい軒はご夫婦で経営されておりましたが、開業から40年が経過した今年夏、ご夫婦は引退されました(私は「個人経営の飲食店 最大で40年が寿命論」を唱えております)。膝を悪くしたという親父さん、長いこと有難う御座いました。細くなった腕で鍋を振る姿を垣間見て、痛々しさを感じておりました。 ご夫婦の後を、複数の若手が妙な熱気で店を引き継ぎましたが、屋号を「築地やよい麺」に変え、妙なロゴマークまで作った様子を見て、私は「やよい麺のチェーン展開による金儲けが目的の、貪欲な輩どもだな。」と推察しました。生きていくために、お金は必要ですからね。 私が往年のやよい麺を好きだった理由は、その「過剰(In Excess)」です。麺は固すぎ・太すぎ・縮れすぎ、辛子高菜炒めは辛すぎ・多すぎ・塩辛すぎ、化学調味料が多すぎ、そして麺も具もスープも量が多すぎ、で味覚中枢もお腹も一杯になりました。旧日本合成ゴム社員(仮称)の間では「親父

「太平洋戦争はなぜ負けたか」別宮暖郎著 日本が何故アメリカに負けたか、理由を科学的に教えてくれる名著。

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私は大学で社会科学を専攻しました。簡単に言うと法・経・商と言う文系は大体が社会科学です。私は中でも組織学・社会学をもっぱら研究しました。文系ですから研究と偉そうに言っても当該分野の本を読んで若者同士がじゃれ合って議論するだけで、まあ20歳前後の若者を対象とした情操教育みたいなものです。 文系学生の皆さん、旧制高校の時代から文系大学ってのは情操教育の場だったのだから、頑張ってね ❤ 。良い子になって下さい。 1984年に執筆された 「失敗の本質」(野中郁次郎他の共同著作) という有名な本があります。これは、太平洋戦争に日本が負けた要因を複数の研究者たちが分析・検討して共同執筆した名著です。文系の大学出身でこの本を読んでいなかったら恥です。文系社会人の良い子の皆さん、今直ぐアマゾンで注文して読みましょう。834円(送料込み)らしいです。 但しこれを読んでいる癖に、社会(または会社)で卑しい行いをする恥ずべき文系社会人は沢山居ます。馬鹿に学問は無駄、ということが実証されましたね。 文系大学は上述の通り、戦前の旧制高校の時代から若者の情操教育の修練場だったんだけどね。今となっては、文系大学なんて税金の無駄(私立助成金を含む)だから廃校にすれば良い、と私は思います。 副題にある通り、この「失敗の本質」という本は、日本人の行動様式や組織に焦点をあてたもので、系譜としては往年に流行った「菊と刀」「縦社会の人間関係」「日本のムラ社会の研究」「In Search of Excellence」等の日本研究本に近いです。 従って著作者のメンバー構成も影響して内容はアカデミックで、この本は「日本は太平洋戦争になぜ負けたの?誰が悪かったの?」と言う大衆の素朴な疑問に、判りやすく答えるものではありません(そもそも焦点が違うので当たり前)。この類の勘違いは時間の無駄だから、本を選ぶ時は注意しましょう。 これに対して、 「太平洋戦争はなぜ負けたか」別宮暖郎著 並木書房 定価1,600円  は、「日本は太平洋戦争になぜ負けたの?誰が悪かったの?」と言う大衆の素朴な疑問に、判りやすく答える名著作です。是非購入してお読み頂きたいのですが、要点は以下の通り(カッコ内は私の感想です)。 結論を言うと「日本は戦略が拙かったから太平洋戦争に負けた」のです。 1.太平洋戦争の日本兵士の死者数は213万人。悲惨極ま

2022/3月 中国入国後のホテル隔離3週間 朝食の記録。中国の高級ホテル室内は日本のラブホ仕様が多い。著しく奇妙な室内レイアウトが中国標準。

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私は今年2月に杭州から日本へ一時帰国しました。2021年の間はずっと杭州に居続けたので、1年半ぶりの一時帰国でした。持病の通院・歯の定期健診・健康診断・サ高住に住む母親との面会などの後、3月に杭州に戻りました。 海外から中国への入国者は、コロナ持ち込みのリスクを避けるために、一定期間のホテル隔離が義務とされています。実態は、外国人や外国かぶれの中国人を、徐々に中国から追い出すための政治的施策だと思います。 私の場合、①杭州空港近くのホテル隔離2週間、②杭州郊外の桜の名所のホテル隔離1週間、③社宅マンションでの自主隔離1週間、の①②③合計で1か月コースの隔離でした。①②の間、1日3度の食事は全て弁当でした。宿泊費と食費は本人負担(勿論、会社に経費請求しました)。 中国に戻ってからこんな長期間の隔離を義務付けられては、一般中国人が海外旅行をしないのは当たり前です。2022/11月現在、日本では外国人観光客を再び見かけるようになりましたが、中国人は皆無です(アジア人では、何故かタイ人が多い)。 これは中国における政治的施策なので、コロナの脅威がどの程度か・何時まで現状の施策を続ければ良いのか、と言った現代社会で当たり前の判断は中国において全くありません。全ては中国共産党のために! ①の後でバスに乗せられて「これで社宅マンションに戻れるのかな ❤ 」とウキウキしていたら、社宅マンションの街を通り過ぎて、②のホテルのある山中にバスが入って行った時、私は奈落へ突き落されたような衝撃を受けました。 この実験で明らかなように、期待させておいて裏切ると、相手のメンタルを壊すのに効果的です。皆さんお試し下さい。 上述①②③の間、在宅勤務としてPCで仕事&Teams会議参加をしていたのですが、こういった経験は記録に残すべしと思って、①の間、毎朝の朝食お弁当を写真撮影しておきました。お弁当の順番はバラバラです。だって3月の写真だもん、今更覚えてないよ。 右端は粟の黄色いお粥とザーサイです。揚げパンを入れて食べます。私の母親は戦後の上海からの引揚者で、上海で食べた朝のお粥と揚げパンが美味しかったと若い頃に何度も言っていましたが、多分当時の皆さんは質素な食事が標準的だったので、油を使った揚げパンがご馳走だったのだと思います。今食べると、特に美味しいとは感じません。ヨーグルトは液状で、爪楊枝みた

花のある日々。芥川龍之介の「舞踏会」。カエル肉。

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2020年に中国北京から杭州に転勤して、杭州では25階建てのマンションの20階、100平米の部屋に独りで2年間住んでいました。中々キレイな部屋でしたが、中国ではバスタブの無い部屋がスタンダードなので、シャワーブースしかありませんでした。2年間、お風呂に肩までつかって温まることが出来ず、人生を2年間無駄にしたような気がします。 赴任当初、部屋が寂しいので毎週末に近所のショッピングモールの花屋で花束を作ってもらって、テーブルに飾っていました。毎週、50元(1,000円)位を費やしておりました。でも早々に飽きて、半年位でこの酔狂な独り芝居は終わりました。 こうして過去の花の写真を見ると虚しいものです。芥川龍之介の「舞踏会」という短編を思い出します。花火を楽しむように、美しい「Vie」をその場で愛でて感動したら、その後は早々にゴミ箱に捨てるに限ると思います。 話は脱線しますが、芥川の「舞踏会」の文体は、三島由紀夫の文体と非常に良く似ています。三島由紀夫は、芥川のこの作品を書写して、自分の文体を作り上げていったのではないかと私は邪推します。 オマケに、杭州内のファストフードレストランの店頭ポスター写真も添付します。カエルはリーン(白身)で癖が無くて、美味しいです。このカエル肉の文節は、上で出てきた芥川龍之介の作品「河童」で、河童肉の記述があったことからの連想で書いたものではありません。偶然です。更に、ウサギ肉も癖が無くて美味しいです。 ウサギは鶏より飼育現場が衛生的ですので、工業的生産には適しています。ウサギはもっと食用肉として普及した方が良いと思います。でもウサギは全身がリーン(白身)なので、食味が単調なのが弱点かも知れません。2022/11/19

備忘録 日本でのコロナワクチン接種 1回目 副作用の記録

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 11/11(金)に、日本でファイザーワクチン一回目を接種。その後、翌週の火曜日・水曜日は原因不明の筋肉痛により終日寝ていた。発熱無し。 振り返って考えると、接種後4日目5日目に副作用がやってきたのだろう。接種後6日目の11/17(木)から元気を回復して、自転車遠乗りやテニスに行けるようになった。但し、11/17(木)と11/18(金)には、睡眠中と自転車遠乗り中に足が攣った。ワクチンとの因果関係は判らない。2022/11/18

足立区北千住 りんりん閉店。宇奈とと北千住店 うな丼ダブル豚汁セット1,420円は凡庸?それとも日本のうな丼の正しい姿?

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午前中はテニススクールに行きました。今日使ったバボラットのラケットの打球感はまあまあでした。しかしながら、 下半身の動きが鈍重(足に根が生えたように、一ヶ所から動かずに球を打とうとする)で、球に応じて適切な位置に体を移動させることが出来ず 、自分の体の不器用さが嫌になりました。 ①クロスの位置からは鋭角に打ち込むこと、②センターからは先ずはセンターに低く球を送り込んで、相手から甘く返ってきた球を決め球でフィニッシュすること、の①②が肝要と学びました。 単細胞の私は、無理な姿勢&無理な場所に球を闇雲に打ち込んで一発で勝負を決めようとするので、甚だしく見苦しいです。 もう60歳なのですから、 数度の打ち合いの後に、相手から甘く返ってきた球を、無理のない姿勢で無理の無い場所に決め球でフィニッシュする 、というマトモなテニスをするべしと胆に銘じました。 午後、北千住のりんりんで餃子ライス450円を食べようと、張り切って自転車で出かけたら、りんりんは閉店になっていました。後からウェブで検索すると、店を継ぐはずだった息子さんが突然死されたそうです。家族経営の小規模のお店では、こういった突発事件が即座に閉店に繋がってしまいます。 私共は、家族経営の小規模のお店でお食事を頂く際、「次回もこのお店で食事が出来ますように。」とお祈りしながらお食事を頂く必要があると思います。私がりんりんで餃子ライス450円を注文すると、私のことを「何時も餃子ライスだけ注文する貧乏な人」だと可哀想に思って頂いた様子で、常にライスを大盛で出して下さいました。ありがたいご厚情に、閉店後の今更ながら感謝します。お陰で何時も、ライスが余らないように、餃子とライスを食べるペース配分で悩んでおりました。 ショックのあまり、昼食が喉を通らないことが危惧されましたが、その足で宇奈とと北千住店に行って、うな丼ダブル豚汁セット1,420円(ご飯大盛無料)を頂きました。しかし残念ながら、味もウナギの量も、私の期待を下回りました。私が、味の違いの判らない馬鹿ジジイになったか、或いは私が宇奈ととチェーン店のウナギ(本日が宇奈ととチェーン店初訪問 ❤ )に抱いていた期待が大きすぎたのでしょう。 食べている最中、中国杭州の郊外のすき屋で毎週末に食べていた、中国産うな丼の方がウナギの量が多かったなぁ、と罰当たりなことを考えておりました。

リンガーハットさん、応援しています。野菜たっぷりちゃんぽんが少々がっかり。

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本日は朝10時から1時間ほど自転車で汗を流して体を暖めました(ガソリン自動車を動かす前の暖機運転みたいなものです)。その後、12:30からテニススクールに行きました。 レッスン後の反省点は、 ①ボレーで適切なラケット面を作ることに集中しすぎて、最適の場所に足で体を運ぶことが疎かになっていたこと(上半身だけで球を処理しようとして、結果としてラケットをアウトサイドインに振り回していた)、②ストロークで球と体の距離が安定せずに、打球が思う方向に飛ばなかったこと 、の2点です。 上述①については、上半身と足腰を同時にコントロールするに足る、充分な精神的余裕がなかったことによるトラブルで、これはメンタルが安定性していなかったことが原因です。テニスの前に、自律神経トレーニング・偶像崇拝・念仏音読・聖書音読・コーラン音読・あるいは精神安定剤の服用等によって、心と体の一体化を図る必要があります。同じく②については、責任回避かも知れませんが、ラケット(ヨネックス製)の振り心地に違和感があったことが気になります。 私は、最近ヨネックスとバボラットの2021年モデルの2本のラケットを購入したのですが、これらを週毎に使い分けて、自分に最適なラケットを見つけようとしております。色使いは赤を基調とした奇麗なヨネックスが好きなのですが、打球感は青を基調とした地味なバボラットの方が、私のスウィングの実情に合っているように感じます。好きな女性と結婚しても上手く行かないのと同様の、相性の機微があるものと推察します(ウソ)。 明日もテニスの予定があるので、ラケットをバボラット製に変えて、様子を見ようと思います。 テニスの後、自転車で久しぶりにリンガーハットに行って、ちゃんぽんを喫食しました。ちゃんぽんを食べるのは久しぶりだったので、ウキウキと「野菜たっぷりちゃんぽん」890円を注文しました。 実物は残念ながら、このメニュー写真よりも具の標高が2/3程度で、具の量は普通以下のちゃんぽんとしか感じませんでした。「あれっ、これは普通のちゃんぽんではないかしら?店員さんに品違いじゃないか確認しようかしら?」と一瞬思いましたが、クレーマー年金ジジイだと思われるのは不本意なので(実際に私はクレーマー年金ジジイだったりして ❤ )、黙って喫食しました。味は普通。特に驚きは無し。 喫食しながら心の中では「これじゃ、 野

私の好きな日本語 三島由紀夫 豊饒の海(一)春の雪

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  「ねえ、飯沼。僕は今日ひとつ失敗をしたんだ。お父様にもお母さまにも内緒にしてくれれば教えて上げよう」 「何ですか」 「僕、今日、妃殿下のお裾を持ちながら、ちょっとつまずいてしまったんだ。妃殿下はにっこりして恕して下さったよ」 飯沼はその言葉の浮薄、その責任感の欠如、そのうるんだ目にうかぶ恍惚をことごとく憎んだ。 ⇒貴顕の恍惚と庶民の冷淡の対比です。三島由紀夫の小説では、同様の対比によって登場人物間の信条・生まれ育ち・教養の差を際立たせて、後の展開の導入部とする手練手管が多用されます。こういった三島由紀夫の神経質かつ小賢しい描写表現が嫌いな人は多いと思います。私は好きです。

ファイザー製のコロナワクチン1回目接種。松屋のごろつきチキンカレーは美味しいけれど高い。

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先週の金曜日に日本のコロナワクチン(ファイザー製)1回目を接種したので、週末は大人しく、ガスレンジのベトベト油汚れ掃除・庭木の剪定と言った家事に勤しんでおりました。幸い、ワクチンの副作用は出ませんでした。 接種会場で、私が中国で2021年に3回接種したコロナワクチンは中国製で、日本では誰も知らない中国メーカー製(北京科興中維製!)だと説明して、中国で受け取っていた接種証明書も見せたのですが、係員の方々には中々判ってもらえませんでした。どうも中国帰りの人間は、日本では異端者扱いですな。 今日のお昼は、松屋で「ごろつきチキンのバターチキンカレー」を喫食。お客さんの作業員比率高し。 名前に違わず、チキンがごろごろ入っているのは立派だし、バターカレーの味も宜しいのですが、780円は高いと思います。私にはあまり手が出ないお値段です。松屋は、度肝を抜くようなデフレ価格で底力を見せて欲しいものです。 先月から、インビサラインで歯列矯正をしているのですが、歯に付けた樹脂のボタン(移動させるために、何本かの歯に付ける)が一つボロッと取れてしまったので、今日の午後は自転車で池袋の歯医者に行きます。2022/11/14

日本の室内は寒い。特に今年の冬は寒い。電気チョッキ「ぬくさに首ったけ」を着れば室内暖房不要。

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 冬の日本の居室内は寒いです。これに対して、私がアメリカのデトロイト、中国の北京と杭州に住んでいた時、冬の室内気温は常に25℃以上で暑い位で、私はアメリカと中国に住んでいた時、自宅内では一年中Tシャツと柄パンツで過ごしておりました。 日本は住宅の断熱性が低いことが災いして、冬の室内が寒いのだと思います。特に、熱伝導性の良いアルミで出来たアルミサッシは、日本の住宅の寒さの根源です。壁に入っている断熱材も少ないです。恐らく日本では「日本人だったら、四季の外気温に親しみながら暮らしなさい。」と言う下らねえ同調圧力が利いているのでしょう。従って、冬の日本の自宅内で暖かさを求めるのは諦めましょう。 更に、最近は世界で火山の大噴火が続いており、成層圏に達した塵の影響で日照量が低下し、今後は当分の間、地球は寒くなると予想します。これは数百年単位で見れば地球の周期的な変化ですから、人は受け入れて生活するほかに策はありません。1900年代前半の戦前・戦中にも、東北地方で火山の大噴火の影響と思われる冷害による凶作が続き、餓死者が出たのは記憶に新しいところです。もっと地球温暖化を進めておけば良かったですね。 今日におきましては、日本人の栄養状態は良いですし、日本も豊かになったので、冷害による餓死者の心配はしなくて良いと思います。でも、折からのエネルギー価格上昇の影響で、今年の日本国内では「日本人だったら、エネルギーを節約して、もっと寒い室内で暮らせ。」と言う下らねえ同調圧力が強まることが懸念されます。自分だけでなく周囲全体を不幸にしようとする輩からは、参政権を取り上げた方が良いですね。 このような方には、「お前の人生がパッとしないのは、お前自身のせいだ。俺のせいじゃない。周囲を自分と同じように不幸にしようとするな。迷惑だ。」とハッキリ真実を教えてあげましょう。 そこで、電池式の電気チョッキ「ぬくさに首ったけ」をお勧めします。私は5年前から中国での通勤中に愛用しておりました。今は日本の寒い自宅居室内で、電気チョッキのお陰でヌクヌクと暖かさに包まれて生活しております。 私はこの会社から一切お金を貰っていませんが、この電気チョッキの素晴らしさを少しでも多くの皆様に知って頂きたく、ここにご紹介するものです。 因みに同居している妻も、私の妙に熱のこもった「電気チョッキアピール」を全く無視しておりま

清澄庭園と道を挟んで向かい側 TVでもお馴染み 街中華の有名店 桃太楼にて喫食。

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  清澄白河の街中華レポート。下の写真は中国杭州のPCR検査の行列ですので、気にしないで下さい。嫌な思い出を残しておこうと思って。 学生時代の友人のご実家が門前仲町にあるのですが、 そこに練馬の自宅から自転車で行って大切な手紙を届けた際、 清澄白河駅近くの有名(らしい)街中華 桃太楼に行きました。 (年末に学生時代の友人で集まる計画があるのですが、 転勤の多かった或る友人とコンタクトが途絶えていて、 何とか連絡を取るために40年前に訪れたことのある当該友人の門 前仲町のご実家ポストに、 連絡が取りたい旨の手紙を投函しに行った。羨ましいことに 母上が90歳で元気に独りでご実家に住み続けており、 今は相模原に住んでいる友人と25年ぶ りに電話連絡が可能となった。) 中華 桃太楼は、家族三代で店を回しているいわゆる街中華で、 TVに何度も紹介されたことのある店です。店内に浅草キッドの玉ちゃんの訪問写真が貼ってあります。新宿出身でスナック好きのイロモノ 玉ちゃんも、すっかり出世しましたな。 昼から夜まで通し営業ですが、 お昼時は店の外にお客さんの待ち行列が出来ます。 味付けは美味。特に餡もの(中華丼など) のとろみの塩梅とカツオだし醤油ラーメンの味付けは、 さすが街中華の人気店、と感じた。 しかし味は良いものの、おしなべて野菜や肉と言った「具」 が少なくて、私には、一寸食い足りない欲求不満が残った。 近隣の中高年の馴染み客や作業服の馴染み客は皆さん一様に、 満足そうに店の皆さんに「美味しかったよー」 と声を掛けてひとしきり世間話をしていたので、 まあ皆さんが幸せならば良いのかな、と考え直しました。 なお、現在はおばあさんが会計とお冷提供(お年なので、動きはとてもゆっくりで、ついつい気を遣ってお冷を貰いに行ってしまいます)、おじさん(腰が悪くなって出前を数年間に止めたそうです)が厨房、おばさんが店内料理の提供、息子(メッシュの金髪 ❤ )が鍋振り、という家族三代で運営しています。しかし、お店の将来への継続性に一抹の不安を感じました。理由は秘密。 後日、自転車でもう一回行った。理由は「とろみ」の旨味を再確認したかったから。酸辣湯ラーメンを頂きましたが、 とろみが利いていて期待通り美味。今の季節、 辛くてとろみがある一品は体が温まります。見苦しい程に顔面汗だらけになって、美味しく

夢十夜

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  夢十夜 こんな夢を見た。   高校生の私はコンプレックスの塊だ。上目遣いの顔は平凡で、肌はアトピー性皮膚炎でザラザラ、運動も勉強も苦手で、クラスでは迷惑にならないように端に片付いている。これで自信を持てとは無茶だ。   このままでは生きている甲斐がない。命は要らないから、美しい妻と美しい子供を私に与えて下さい。高校生活が終わりつつある冬の日、深夜の烏森皇大神宮で祈った。   浪人ののち大学を経て社会人になったが、私のぱっとしない日々は続いた。しかし、祈りの効果は漢方薬のように徐々に効いてくるものと思われる。28歳の時に友人から美しく賢明な女性を紹介され、彼女と結婚することになった。   息子二人に恵まれた。共に美しい顔、伸びやかな肢体、そして優れた頭脳を持っている。なんの問題もなく健康に成長した。妻と成人した息子二人は、眩しいほどに美しい。   しかし私の心は穏やかでない。私は妻と息子たちの伸び伸びとした人生を妬んでいるのだ。言いがかり同様の理由で、妻や息子たちと殴り合いになることもしばしばだった。家に帰らない日が続く。   そのうち父と同じ肝硬変で死ぬことになった。家族と不仲で、独り深酒を続けていたのだから当然だ。入院して1か月後の朝、私の担当の看護婦が忙しそうだ。   私の父が死んだ朝と同じように、看護婦は手際よく私の体を清め始めた。いよいよ死ぬのだと思った。もう声は出ない。呼吸ばかりが荒い。面会時間でもないのに、妻と二人の息子が病室に居る。   妻が医者に向かって「夫は美しい私と結婚出来て、美しい息子が二人出来たことで充分幸せだった。延命治療はしないで下さい。」と、はきはき説明している。   延命治療はするなと言ったが、高校時代の神社の祈りを妻に話したことはない。何故妻は知っているのか。窓から差し込む日に照らされ、私を見下ろす妻の顔は白い。息子達の顔も白い。 夢九夜 こんな夢を見た。   私は庭に穴を掘っている。片瀬海岸に程近いその場所は砂地なので穴を掘りやすい。でも幼稚園児の私は大きなショベルを使えないので、大人になった私が手伝った。大人の私は大きなショベルで深い穴を掘ってくれた。   ありがとう。もういいよ。私の身長よりも深い穴だ。大人の私は、笑いながら私の顔を触って、英語で何か難しいことを言うと

新しいブログを開設

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随分と久しぶりに改めてブログを開設します。 前回、2008年に山梨に住んでいた時にブログを初め、十年近く同じアドレスでブログを続けていました。山梨・佐賀・茨城・東京・中国と転勤を続ける間も、同じブログを書き続けていました。 私が大変に惨めだった18歳の頃、「継続は力なり」と代々木ゼミナールに張り紙してありましたから、続けるのは良いことなのでしょう。 しかし、学生・就職・結婚・子供が出来た・妻と不仲になった・会社で干された・息子二人が就職して独立した・母親が認知症になって貯金を使い果たしたので実家売却を余儀なくされた・妻と別居した・家族と死別した等々、世間の民草におかれましては、長年生きていると様々な節目で「投げ捨てよ過去の杜」という気分になることがあることでしょう。 私の場合、2015年に中国へ赴任した数年後に「自分の過去」への嫌悪を感じ、「投げ捨てよ過去の杜」と言う心境で上述のブログを閉鎖しました。 北京勤務の後に杭州勤務を経て、中国勤務7年の後に東京に帰任した2022年7月末、1985年の新卒入社以来ずっと勤務していた会社を退職しました。60歳と言う節目だったから退職しました ❤ というのは奇麗事の言い訳で、会社勤務と自我の長年に亘る擦り合わせに疲れ果て、メンタルが悲鳴を上げたので止む無く退職を決めた、と言うのが実態です。 客観的に見て、私は社会人不適格者だったと言うことです。勤めていた会社の同僚の皆さん、長々とご迷惑をお掛けしてご免なさい(と、心にもないことを言うのが社会のエチケットなんでしょ?知らんけど)。 現在は、10年以上にわたって投薬治療を受けているパニック障害(要するに鬱病)の様子を見ながら、毎日、気楽にテニスや自転車遠乗りや読書や朝寝朝酒朝湯をして、今後男の子として余生をどのように過ごすか(多分、最後まで何もしない)を探している最中です。 今更ですが「自分探し中」と言うところでしょうか?でも、それが60歳になるまで探しても何も見つからず、中身が空っぽなのが世間の皆さんにばれたから、今日の私の体たらくになっている訳です。 しかしながら私は今まで自分に厳しく対処し過ぎて損をしてきたと言うべきであり、自分に甘く、他人に厳しくする恥知らずの態度が、世間でゴキブリのように図々しく生きていくためには必要なのだと思います。 まとまりが無くなりましたが、畢竟このブ