備忘録 日本でのコロナワクチン接種 1回目 副作用の記録 11月 18, 2022 11/11(金)に、日本でファイザーワクチン一回目を接種。その後、翌週の火曜日・水曜日は原因不明の筋肉痛により終日寝ていた。発熱無し。振り返って考えると、接種後4日目5日目に副作用がやってきたのだろう。接種後6日目の11/17(木)から元気を回復して、自転車遠乗りやテニスに行けるようになった。但し、11/17(木)と11/18(金)には、睡眠中と自転車遠乗り中に足が攣った。ワクチンとの因果関係は判らない。2022/11/18
贅沢な不満。2020年~2022年7月 中国杭州における食生活。 11月 22, 2022 太平洋戦争の日本兵士の死者数は213万人ですが、悲惨極まりないことに、餓死者はこの内100万人以上でした。 これは日本軍の作戦責任者だった参謀達が兵站を無視したことが原因であり、これら餓死した100万人以上の日本兵士の無念を思えば、のうのうと長生きした挙句に、昨今の日本における極めて小幅の物価値上がりのような些末な事柄に不平不満をグダグタ言っていると、天罰が下ると思います。食べる量を減らせば良いのです。 今からでも遅くないので、これら参謀達の墓をあばいて、餓死した日本兵士の無念を晴らす憂国の志士は居ませんか? さて、2020年の杭州赴任から2022年7月の帰任までの間、中国での食生活がどんな状態だったかと質問されることが多いです。仰る通り、コロナによる外食規制が広がると共に、私が住んでいた杭州郊外の街でも中小飲食店は次々に閉店して、外食の選択肢は減って行ったのですが、自炊をしていれば何ら問題ありませんでした。 炊飯器と水とお米と副菜(何れも中国製でOK!)があれば、我々は永久に幸せに暮らせます。繰り返しますが、 幸せです。異論を唱える者には上述の通り天罰が下ります。 中国では日本のAmazonのような通販(淘宝がNo.1かな?)が大変に発達しているので、社宅マンションが外部の通販から隔離されなければ、食生活には何ら支障がありませんでした。以下、通販で数えきれない程に何度も購入してお世話になった食材の数々です。 ①どん兵衛、納豆、醤油、メープルシロップ: 日本製のどん兵衛は日本円で300円/一つ位の高級品でしたが、これで立派な夕食になるという優れ物でした。納豆(日本製と銘打っているが、日本で見たことがない怪しいブランド)は冷凍品で味は酷いものでしたが、これがあればご飯でもトーストでも、ご馳走に早変わりです。 自炊用のお米はこの「中国産秋田小町」が美味しかったです。中国産で秋田小町???ですが、商標登録については許してやって下さい。こんなことでいちいち怒っていると中国では怒り疲れてしまうので、生きて行けません。 なお、話が脱線しますが、日本以外の国では生卵が食べられません。2022年に日本に帰任後、朝食に納豆卵ご飯を頂いた時、嬉しさのあまり落涙するところでした。 醤油(キッコーマンなど)は、下の②に述べるナチュラルチーズを醤油漬けにして、ご飯のお供として愛用しており Read more »
プラスチックリサイクルの嘘にはウンザリ。投げ捨てよエコロジー詐欺。立ち上がれニッポン。 4月 05, 2023 プラスチックリサイクルには数多の嘘がまかり通っています。その嘘によって我々が負担するコスト(税金)は高くなっているのですが、嘘に関わって利潤や職場や満足を得ている者達(業者・役人・愚かな庶民)が居て、彼らが嘘のPRを止めないので何時までも不合理が続いています。これら嘘にはウンザリなので、私の知る範囲で事実関係を整理しておきます。 ①品質の嘘 再生プラスチックの品質劣化と用途の不在: 金属やガラスとは異なり、プラスチックは有機物なので、再利用に伴う加熱によって著しく基本物性が劣化します。また、そもそも長期間使用したプラスチックは、既に劣化していて初期の物性を維持していません。 従って、廃棄されたプラスチックを同じ種類のプラスチックに分けた上で再生品をフレーク状(=再生プラスチック)にしても、バージンのプラスチックペレットと同等品質として樹脂成型に使用することは出来ません。 廃棄されたプラスチックからは、劣った品質の樹脂成型品しか製造出来ない のです。 更に、こうした劣った品質の成型品で構わない用途は極めて限られた分野にしかありません(擬木、プラスチック杭、庭園用品など)。従って、そもそも 再生プラスチックには利用ニーズが無い と言うことになります。 この点だけでプラスチックリサイクルの結論は出ています。再生プラスチックには需要先が確保できないのだから、無駄だ!止めろ!です。 比較対象:古紙回収 回収した古紙は、溶かして再生紙として段ボールその他の紙製品に生まれ変わりますが、バージンパルプを原料とした製品と比較して、再生紙の品質は左程変わりません(紙の繊維が短くなっているので、強度に劣る。しかしバージンパルプと混ぜることで使いこなせる)。 ②コストの嘘 1)運搬費用:プラスチックを再利用するためには、洗浄・分別・圧縮・クラッシュといった工程に対処出来る大規模設備を使用して、プラスチックフレークに加工する必要があります。しかし、こうした大規模設備は住宅地の近隣に小規模設備として建設する訳には行かないので(規模の経済性)、精々、各県に1か所程度になります。すると軽くて嵩張って運搬効率の悪い回収プラスチックを、高い運搬費用を掛けて大規模設備のある場所まで運ぶ必要があります Read more »
Luchino Vinsconti監督 「Death in Venice」 有名だけど駄作。美は儚い。 11月 21, 2022 この1971年作の有名な映画は、1900年代前半の第一次大戦前、欧州では辺境貴族でさえも豊かだった時代が舞台です(後半にペスト流行が出てくるので、この時代だと推測します)。 グロテスクな高級家具を揃え、押しつけがましい生花を過剰に配置した豪華絢爛たるホテルセットの中で、ベネチアへ夏の長期滞在に訪れた、もう直ぐ没落する上流階級の女共(女主人、および子供の教育係の女)の振る舞い・観光地向けの高価なドレス・特注の大げさな帽子、女共とその子供達のベネチア海岸での贅沢かつ退屈な生態、ダイニング待合室の4重奏演奏家の聞くに堪えない調子外れの演奏、そしてホテル従業員の田舎芝居のような大袈裟な顧客対応など、悪意ある描写が延々と続く、Luchino Visconti監督の駄作です。 ストーリーとは関係が無いこれら執拗な描写は、Visconti監督が同性愛者特有の選民意識(高級好み、田舎者嫌い、女嫌い、健康嫌い、努力蔑視、俗物嫌い)をさらけ出したものです。変態監督は気色が悪いです。 主人公(ドイツ人の老作曲家)本人、およびホテル従業員とその他の卑しい者共はイギリス英語(ラテン語由来の古臭い表現が多い)で会話して場面は進んで行くので、この映画はイギリス・アメリカ市場を目当てに作成されたものと推察します。 しかしながら、準主人公の美少年(Bjorn Andresen)とその家族等の脇役からは、フランス語・ロシア語等が途切れ途切れに聞こえる程度です。彼ら出演者のセリフはゼロです。主人公と準主人公以下脇役の間は言語的にも隔絶しており、コミュニケーションがありません。この映画は主人公の独白劇です。 美少年は、着飾って主人公の前を通り過ぎるだけの「美少年人形」です。エッチな動画のAV女優だって、少しはセリフがあります。この映画は訳が判りません。 主人公は音楽家ですが、新作に対してドイツ観客の囂々たる非難を受け、ショックのあまり神経衰弱に陥って、独りでベネチアへ夏の長期静養に訪れました。残念ながら彼の美の才能は尽きたのです。美しい妻との間の娘を病で亡くしました。高級娼婦の館で 極めて美しく教養豊かな 娼婦と合体しようとしても不能で、馬鹿にされます。才能が尽きた芸術家に良くある話です。八方塞がり、と言う奴です。 同じベネチアのホテルに長期滞在している一家の美少年に、主人公の目は釘付けになります。自分に Read more »
豊島園駅前の飲食店ビルが無くなって残念。板橋区立美術館はとてもキレイ。東武練馬駅前のモンゴル料理 あむ亭。イオン板橋店は涼んでいるお客で一杯。 7月 20, 2024 7/20(土)は朝から絶好調で気温が高く、7時の気温は既に30℃を超えていました。今日は練馬区から板橋区にかけてをフラフラするために自転車で出掛けました。 先ずは西武線豊島線駅周辺の視察。豊島園は閉園となり、今はハリーポッターの見世物小屋と都立の練馬城址公園に生まれ変わっております。 西武線豊島園駅の駅前には、豊島園に行く観光客を相手にする回転寿司屋やスパゲティ屋などが入った中途半端な雑居ビルがあったのですが、取り壊されて白い鉄板で跡地は囲まれていました。 この場所以外も見て回りましたが、以前からあった小規模の飲食店などは豊島園に行く観光客が居なくなったせいで皆さん苦戦しておられるようで、閉店している様子の店も多くありました。 私は幼年期から就職までの期間を藤沢市の海沿い地域にあった自宅で過ごしたのですが、特に幼稚園の頃の自宅は、小田急線片瀬江ノ島駅の直ぐそばにありました。 当時の片瀬江ノ島駅周辺には、冬でも店頭に浮き輪を吊るしっぱなしの土産物屋や夏場の安易な商売に慣れ切ってだらけた商売をしている「不味い」飲食店、そして海水浴シーズン以外は全く人影のない寂れた観光ホテルなどが軒を連ねていました。 学生時代の私は、このように観光地に頼り切ったコバンザメのような中途半端な小商いをする海沿いの店の雰囲気が好きでした。決して自分がこれらの店を利用する訳ではないのですが、「あると安心する」という妙な心理状態でした。まあ、自分と厳しい世間の間に、緩衝地帯を持っているような心持でした。 当然ながら、これら片瀬江ノ島駅近くの不合理なビジネスは1980年代までに次々に姿を消して行って、藤沢市でノホホーンと暮らしていた私にも厳しい世間がドンドン迫ってきて、今日の私の情けない体たらくに至りました。このような発想法を持つ私にとって、豊島園駅前の飲食店の群れが無くなったのはとても残念なことです。 豊島園駅前を経由して、そのまま自転車で板橋区立美術館に行きました。現在は絵本原画展が開催中です。この美術館の施設内はとてもキレイで、特にトイレの照明照度が極めて高く、トイレ内でも余裕で読書出来てしまいます(しないけどね)。 絵本原画展を2時間近くじっくり見て回りました。展示内容は、世知辛い世の中とはかけ離れた世界です。 芸術家と鬱病・統合失調症患者は紙一重だなぁ、即ち、精神的な健康と不健康の区分定義 Read more »
足立区北千住 りんりん閉店。宇奈とと北千住店 うな丼ダブル豚汁セット1,420円は凡庸?それとも日本のうな丼の正しい姿? 11月 18, 2022 午前中はテニススクールに行きました。今日使ったバボラットのラケットの打球感はまあまあでした。しかしながら、 下半身の動きが鈍重(足に根が生えたように、一ヶ所から動かずに球を打とうとする)で、球に応じて適切な位置に体を移動させることが出来ず 、自分の体の不器用さが嫌になりました。 ①クロスの位置からは鋭角に打ち込むこと、②センターからは先ずはセンターに低く球を送り込んで、相手から甘く返ってきた球を決め球でフィニッシュすること、の①②が肝要と学びました。 単細胞の私は、無理な姿勢&無理な場所に球を闇雲に打ち込んで一発で勝負を決めようとするので、甚だしく見苦しいです。 もう60歳なのですから、 数度の打ち合いの後に、相手から甘く返ってきた球を、無理のない姿勢で無理の無い場所に決め球でフィニッシュする 、というマトモなテニスをするべしと胆に銘じました。 午後、北千住のりんりんで餃子ライス450円を食べようと、張り切って自転車で出かけたら、りんりんは閉店になっていました。後からウェブで検索すると、店を継ぐはずだった息子さんが突然死されたそうです。家族経営の小規模のお店では、こういった突発事件が即座に閉店に繋がってしまいます。 私共は、家族経営の小規模のお店でお食事を頂く際、「次回もこのお店で食事が出来ますように。」とお祈りしながらお食事を頂く必要があると思います。私がりんりんで餃子ライス450円を注文すると、私のことを「何時も餃子ライスだけ注文する貧乏な人」だと可哀想に思って頂いた様子で、常にライスを大盛で出して下さいました。ありがたいご厚情に、閉店後の今更ながら感謝します。お陰で何時も、ライスが余らないように、餃子とライスを食べるペース配分で悩んでおりました。 ショックのあまり、昼食が喉を通らないことが危惧されましたが、その足で宇奈とと北千住店に行って、うな丼ダブル豚汁セット1,420円(ご飯大盛無料)を頂きました。しかし残念ながら、味もウナギの量も、私の期待を下回りました。私が、味の違いの判らない馬鹿ジジイになったか、或いは私が宇奈ととチェーン店のウナギ(本日が宇奈ととチェーン店初訪問 ❤ )に抱いていた期待が大きすぎたのでしょう。 食べている最中、中国杭州の郊外のすき屋で毎週末に食べていた、中国産うな丼の方がウナギの量が多かったなぁ、と罰当たりなことを考えておりました。 Read more »
私の好きな日本語 中島敦 山月記。優れた文学で我々は幸せになれない。自然科学の恩恵に感謝すべし。馬の耳に念仏。 11月 24, 2022 隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃ところ頗厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山かく略に帰臥し、人と交りを絶って、ひたすら詩作に耽った。 ⇒今日、我々が文化的で健康な生活を満喫しているのは、環境衛生の向上と感染症予防の充実による感染症(コレラ、ペスト、スペイン風邪等)の克服、化学(尿素)肥料・農薬・品種改良の進歩による食料増産のお陰での栄養充足、高度な医療進歩によるウィルス・細菌感染症(結核、肝炎ウィルス、ピロリ菌等)の制圧、そして重化学工業を始めとする製造業全般と最近のIT産業の発達による生活利便性の向上のお陰です。これらは全て自然科学です。 現代の我々は文化的で病気知らずで、乳幼児の死者は極めて少なく、夏は涼しく、冬は暖かく、お腹も満ち足りて暮らしています。しかし、上述の 自然科学の発展が無ければ、我々の半数は死んでいたのです。 1900年代前半までと比較すると、我々は夢のように幸福な時代に暮らしています。 私が敬愛する中島敦の名著 山月記の主人公が人生を捧げたのは詩作です。しかし主人公は不幸でした。中島敦は喘息で苦しみぬいて、1942年に33歳で亡くなりました。中島敦も又、不幸でした。優れた文学で人々は幸せになれません。 1900年代前半は、哲学と社会主義が世を支配しました。それ以前も、世界では人文科学・社会科学が幅を利かせていました。しかし世界の大多数の人々は不幸でした。 自然科学の恩恵のお陰で今日の我々が幸福になったのは明らかでしょう。 現在の大多数の人々の身の程を超えた幸福な日々を考えれば、我々は1900年代以降の自然科学の進歩と、自然科学が幅を利かせ始めた1900年代後半以降の世の中に感謝すべしと思います。 でも近年、罰当たりにも人文科学・社会科学と自然科学をごちゃ混ぜにした挙句、自然科学の恩恵を否定する、新手の馬鹿が現れました。国際機関の利権と白人優位思想でお馴染みの欧州が放つ鉄砲玉、トゥーンベリ女史です。 トゥーンベリ女史、じゃあ貴方は感染症に掛かって、乏しい食糧で栄養失調になって、結核で苦しんで、電気も暖房も鉄もプラスチックもPCも無しに、北欧の寒い森の中で美しく暮らしなさい。 映画「みじかくも美しく燃え」1967年作 みたいで憧れちゃうな。頑 Read more »
2023/3/29、91歳の母親が過去3年間住んでいたサ高住(JR辻堂駅近く)にて脳内出血を起こして意識を失い、2023/5/3に亡くなり、2023/5/5に茅ヶ崎市斎場にて火葬を済ませるまでの記録。 5月 16, 2023 私のブログは、私が最大の熱心な読者で一般読者は皆無と言う、極めてケッタイなものです。要するに、私の備忘録としての役割が唯一の存続理由です。 今般、親族の直接立会人は私だけと言う、私一人が現場責任を背負いこむような状態で、母親が2023/3月末に倒れてから2023/5月初めの火葬までの諸事を私が担当しました。 一連の出来事について、その工程に現場で関与しなかった親族のために、明瞭な記録を残しておくべきと考えます。以下に時系列で記録します。 私は冷血漢だけれど、それでも辛いことを思い出すのは嫌なので、この記録を書き始めるまでには日数を要した。 市井の人々は、私をはるかに上回って繊細で居られるので(肝要なことには、恥知らずで無神経だけれど)、こんな心に仕舞っておきたいことを時系列の記録を残す人は、古今東西現れないだろう。 2023/3/29: 18:00頃、兄より第一報あり。母親がサ高住にて、脳内出血と思われる症状により倒れた由。但し兄は入院中で、一切対応が出来ないので、私が対応するように依頼された。 以降、母親の火葬まで、親族では私一人が現場対応者となる。兄とは頻繁に連絡を取り合い、母親の容態に応じた対応策を、合意した上で実施。 18:00、直ぐにJR辻堂駅近くのサ高住に私が電話連絡。母親が倒れた際、関係者が近くに居たので倒れた母親は頭部を強打することは無かった由。母親が救急車で緊急搬送された辻堂駅前の徳洲会湘南藤沢病院へ、家族が直ぐに向かって欲しいとの指示あり。 私は練馬に住んでいるので、現場に到着するのは20:30頃になると伝達し、直ぐに私が電車に乗って病院に向かった。 20:30頃、辻堂駅前の徳洲会湘南藤沢病院に到着。1階奥にあるER(緊急病棟)に行くよう指示される。母親と対面。私が到着するまで、サ高住の担当者が母親に付き添ってくれていた。深く謝意を申し上げた。 母親はストレッチャーに寝ており、左半身全てが動かない状態。右半身は多少動くようで、突っ立っている私に、右側の椅子に座るように促す動作をした。ER看護師が身体反応を確認。左半身は感覚なし、右半身は感覚あり。母親はかろうじて看護師の質問に唸り声で応えられる状態。 緊急搬入後、直ぐに諸検査を行った結果、脳内出血が起きたことは確実と見做していた。先ずは止血薬&血圧を下げる点滴をしている旨、説明を受ける。血圧・脈拍 Read more »
吉祥寺駅前のナポリタン パンチョでナポリタン並 820円を喫食。芥川龍之介の芋粥。母親死去。 5月 12, 2023 本日5/12(金)は、午前中にテニススクールでレッスンを2コマ受講しました。 ①フォアハンドストロークでは、先ず手首のスナップで4時から12時の回転でボールを捉え、球を打ち出した後に腕のフォロースウィングをすること。 ②フォアボレーでは、肘を腹に食い込ませて、手首を開いて体前向きで球に対峙し、ラケットによる球の捕捉準備をして、腕は振らずに左足の踏み込みで球を打ち返すこと。 ③バックボレーでは、フォアボレー同様ながら、手首を開いて体前向きで球に対峙し、ラケットによる球の捕捉準備をして、腕は振らずに右足の踏み込みで球を打ち返すこと。 という3つのポイントを学ぶことが出来たので、とても嬉しかったです。テニスは私にとって精神修養です。 昼頃にレッスンが終わってから、自転車で吉祥寺駅前に赴き、ナポリタンパンチョでナポリタン並盛820円を喫食しました。 単調な味付けのナポリタンの並盛(世間一般的に言うと大盛)に対峙したその時、芥川龍之介の芋粥を思い出しました。 翻訳すると、食べる前にお腹が一杯になりました、と言うことです。 40年前の喫茶店のナポリタンの味わい、というコンセプトのお店だと思います。麺はモッチリ且つヤワヤワ、味はケチャップ、具はソーセージが沢山(本当に沢山入っている)といった内容です。粉チーズがバケツのような容器に入ってテーブルに置いてあり、これが溶けるとクリーミーで美味でした。 恐らく、私が30歳代だったら極めて好みのお店になったと思いますが、残念ながら私は61歳なので、次回の来店は1年後になると思います。翻訳すると、美味しかったのですが惜しむらくは私の年齢と体力が料理の力強さに負けてしまった、と言う感じです。 でも、以前から気になっていたナポリタンのパンチョを訪れることが出来て、今日は幸せでした。 先週5/3に、母親が脳内出血を主因として91歳で茅ヶ崎市のサ高住で亡くなりました。父親は私が20歳の時に55歳で亡くなったので、親を看取るのは41年振りでした。 3月末に母親が脳内出血で意識を失って以降、1か月間の病院とホスピスへの訪問、各種段取り設定と関係者との協議、及び火葬場での立ち合い(坊主抜きの直葬)は全て私一人がやりました。これは普通の状態ではないと思います。 火葬場で立ち合いを依頼した葬儀業者に聞いたら、「コロナ以降の葬儀は小規模になりましたが、故人を一 Read more »
「太平洋戦争はなぜ負けたか」別宮暖郎著 日本が何故アメリカに負けたか、理由を科学的に教えてくれる名著。 11月 20, 2022 私は大学で社会科学を専攻しました。簡単に言うと法・経・商と言う文系は大体が社会科学です。私は中でも組織学・社会学をもっぱら研究しました。文系ですから研究と偉そうに言っても当該分野の本を読んで若者同士がじゃれ合って議論するだけで、まあ20歳前後の若者を対象とした情操教育みたいなものです。 文系学生の皆さん、旧制高校の時代から文系大学ってのは情操教育の場だったのだから、頑張ってね ❤ 。良い子になって下さい。 1984年に執筆された 「失敗の本質」(野中郁次郎他の共同著作) という有名な本があります。これは、太平洋戦争に日本が負けた要因を複数の研究者たちが分析・検討して共同執筆した名著です。文系の大学出身でこの本を読んでいなかったら恥です。文系社会人の良い子の皆さん、今直ぐアマゾンで注文して読みましょう。834円(送料込み)らしいです。 但しこれを読んでいる癖に、社会(または会社)で卑しい行いをする恥ずべき文系社会人は沢山居ます。馬鹿に学問は無駄、ということが実証されましたね。 文系大学は上述の通り、戦前の旧制高校の時代から若者の情操教育の修練場だったんだけどね。今となっては、文系大学なんて税金の無駄(私立助成金を含む)だから廃校にすれば良い、と私は思います。 副題にある通り、この「失敗の本質」という本は、日本人の行動様式や組織に焦点をあてたもので、系譜としては往年に流行った「菊と刀」「縦社会の人間関係」「日本のムラ社会の研究」「In Search of Excellence」等の日本研究本に近いです。 従って著作者のメンバー構成も影響して内容はアカデミックで、この本は「日本は太平洋戦争になぜ負けたの?誰が悪かったの?」と言う大衆の素朴な疑問に、判りやすく答えるものではありません(そもそも焦点が違うので当たり前)。この類の勘違いは時間の無駄だから、本を選ぶ時は注意しましょう。 これに対して、 「太平洋戦争はなぜ負けたか」別宮暖郎著 並木書房 定価1,600円 は、「日本は太平洋戦争になぜ負けたの?誰が悪かったの?」と言う大衆の素朴な疑問に、判りやすく答える名著作です。是非購入してお読み頂きたいのですが、要点は以下の通り(カッコ内は私の感想です)。 結論を言うと「日本は戦略が拙かったから太平洋戦争に負けた」のです。 1.太平洋戦争の日本兵士の死者数は213万人。悲惨極ま Read more »
A room with a view. 大仰なイギリス英語、ベテラン女優の大げさな演技、およびベテラン女優の顔の皴の3つを楽しむ映画。 2月 05, 2023 共にゲイの映画監督 Merchant(インド人)とIvory(アメリカ人)の男性カップルが作成した、低予算の耽美的イギリス映画です。Academy賞を3つ受賞しています。 1986年の公開時にアメリカで大ヒットして、300万ドルの制作費用に対して収入は2,000万ドルに達したそうです。出演料がアメリカ人よりもグッと安い英国人俳優を多く起用して、セットを組まずに実際の家屋内で撮影したシーンが多かったことが低予算で済んだ理由と推察します。出演俳優にもゲイの方が居て、どうやら耽美的表現にはゲイの方の才能が大いに発揮されるように思います。 時代背景は1900年頃、タヌキ顔のイギリス金持ちの箱入り娘Helena Bonham Carterは、母方の独身の叔母さんをお目付け役として同行して貰って、フィレンツェに旅行します。 イギリス人がウジャウジャいるフィレンツェの高級ホテルで、予約時の約束と違って部屋の窓から川や教会が見えないことにガッカリして、夕食のテーブルでも、叔母さんはグチグチ文句を言い続けています。出てきた料理にも叔母さんはケチをつけっぱなしです。堅苦しくて要領が悪くて側に居て楽しくない女性と言うのは、どこの国にも居るようです。 この辺で我々は「この映画は、 大仰なイギリス英語、ベテラン女優の大げさな演技、およびベテラン女優の顔の皴の3つを楽しむ ためのものだ。」と気が付きます。 ピチピチした若い俳優達の美貌を愛でて楽しむ、昨今のアメリカ映画とは相当に毛色が違います。アメリカで大ヒットした理由も、こうした「イギリス風味」が、1986年当時、粗野なアメリカ人(今も変わらずアメリカ人は粗野ですが ❤ )に目新しくて新鮮だったからのようです。 部屋の文句を言い続けている叔母さんの言葉を聞きつけて、同じテーブルについた初対面のイギリス人親子客の親父(この親父役はゲイで、後にAIDSで死亡)が、「我々の部屋は良い景色だ(A room with a view)。男は景色なんて見ないから、部屋を交換しよう。」と叔母さんに申し出ます。 息子Julian Sandsは美貌で、多少浮世離れしたボーっとした表情でタヌキ娘を見つめています。いい歳して父親とイタリア旅行するなんて、こいつも大概に箱入り息子ですな。 初対面の人から申し出を受けるのはイギリスマナーに反するので、身持ちの堅い叔母 Read more »