夢十夜
夢十夜
こんな夢を見た。
高校生の私はコンプレックスの塊だ。上目遣いの顔は平凡で、肌はアトピー性皮膚炎でザラザラ、運動も勉強も苦手で、クラスでは迷惑にならないように端に片付いている。これで自信を持てとは無茶だ。
このままでは生きている甲斐がない。命は要らないから、美しい妻と美しい子供を私に与えて下さい。高校生活が終わりつつある冬の日、深夜の烏森皇大神宮で祈った。
浪人ののち大学を経て社会人になったが、私のぱっとしない日々は続いた。しかし、祈りの効果は漢方薬のように徐々に効いてくるものと思われる。28歳の時に友人から美しく賢明な女性を紹介され、彼女と結婚することになった。
息子二人に恵まれた。共に美しい顔、伸びやかな肢体、そして優れた頭脳を持っている。なんの問題もなく健康に成長した。妻と成人した息子二人は、眩しいほどに美しい。
しかし私の心は穏やかでない。私は妻と息子たちの伸び伸びとした人生を妬んでいるのだ。言いがかり同様の理由で、妻や息子たちと殴り合いになることもしばしばだった。家に帰らない日が続く。
そのうち父と同じ肝硬変で死ぬことになった。家族と不仲で、独り深酒を続けていたのだから当然だ。入院して1か月後の朝、私の担当の看護婦が忙しそうだ。
私の父が死んだ朝と同じように、看護婦は手際よく私の体を清め始めた。いよいよ死ぬのだと思った。もう声は出ない。呼吸ばかりが荒い。面会時間でもないのに、妻と二人の息子が病室に居る。
妻が医者に向かって「夫は美しい私と結婚出来て、美しい息子が二人出来たことで充分幸せだった。延命治療はしないで下さい。」と、はきはき説明している。
延命治療はするなと言ったが、高校時代の神社の祈りを妻に話したことはない。何故妻は知っているのか。窓から差し込む日に照らされ、私を見下ろす妻の顔は白い。息子達の顔も白い。
夢九夜
こんな夢を見た。
私は庭に穴を掘っている。片瀬海岸に程近いその場所は砂地なので穴を掘りやすい。でも幼稚園児の私は大きなショベルを使えないので、大人になった私が手伝った。大人の私は大きなショベルで深い穴を掘ってくれた。
ありがとう。もういいよ。私の身長よりも深い穴だ。大人の私は、笑いながら私の顔を触って、英語で何か難しいことを言うと引き上げていった。自分の幼年時代に対してまで格好をつけなくても良さそうなものだ。
穴の中は砂がしっとりとして、春だというのに寒いくらいだ。隠れていたら、騒がしい幼稚園に行かなくても良いし、底意地の悪い兄に暗い部屋で虐められることもない。ここに武器を隠しておいて、敵を殺すのも良い。
寒くなったので、藤棚の下で藤の花を拾って遊んでいると、母が自転車で買い物から帰って来た。笑いながら、おやつを買ってきたと屈託なく言う。30歳代の母は美しい。ひねくれた性分の自分が恥ずかしくなって、母と一緒に家に入った。
そのまま穴のことを忘れて何日も過ごし、思い出して庭に穴を見に行くと穴がない。母に僕の穴の基地を知らないかと聞くと知らないと言う。親に隠れて何度か庭に穴を掘ったが、気が付かないうちに穴は埋め戻されてしまう。
ある日、明け方の4時頃にトイレに起きて、カーテンの隙間から私の穴を見た。初夏の薄明りの中で一心に穴を埋め戻しているのは、大人になったお節介な私である。
夢八夜
こんな夢を見た。
60歳になったので、定年で退職することになった。中国での単身赴任が長かったので、自宅に戻るのは久しぶりだ。私の不在中に息子二人は就職してそれぞれ一人暮らしを始めたと聞いている。就職先は聞いたが忘れた。
練馬の自宅に着いて玄関の鍵を開ける。人の匂いがしない。息子二人の部屋は、ベッドと机を残して何もない。妻のベッドには長く寝た跡がない。クロゼットには妻が洋服を持ち出した形跡がある。
ダイニングテーブルには埃が積もっている。冷蔵庫の電源は切ってある。電話しようと思ったが、妻や息子達の携帯電話の番号は知らない。母親は3年前に亡くなった。妻の実家の電話番号は勿論知らない。
唯一知っている電話番号に掛けてみると、目の前の電話が鳴りだした。これは自宅の電話番号だ。
そういうことか。ご希望通り、本当の独り暮らしの始まりだ。冷蔵庫の電源を入れて、先ずは役所に行って海外からの転入届をだそう。それから花を買おう。犬を飼って、新しい家族をつくろうと思った。
夢七夜
こんな夢を見た。
沼津インターを出て、山側に向かって走ると緩やかな丘を登る道になる。丘には別荘や銀行の研修施設が点在しているが、その中にBenard Buffet美術館がある。ここから見下ろすと沼津の街が平坦なことが判って面白い。
Buffetはフランスの版画家で、粗くて黒い直線で描く針金のような人物像が特徴だ。その他人や肉体を拒否するかのような画風が好きで、ポスターを何枚か持っている。
彼はピカソのように、年代によって画風が極端に違う画家でもあり、老年期には極彩色の巨大なサーカスの油絵を描いている。油絵の数々は漫画のように下手くそで、晩節を汚したように思う。
私は持ち前のサービス精神で、黒い直線で描かれた人物版画の前に女を連れて行った。これがBuffetの最高傑作だと思う。戦中の不安と作者の孤独が、黒い版画から迫ってくるようだと思わないか。
馬鹿馬鹿しい。私はこう言うべきだった。芸術に造詣が深い私は格好良いでしょう。さあ、さっさと食事をして夜の芦ノ湖を見ながらキスをして、高速そばのラブホテルでセックスしましょうと。
女は23歳で、享楽的な生活を経験した様子があるものの、いたって幼稚である。孤独は良くないわ。あなたは寂しいでちゅか?あたしはもっと明るい絵が好き。ねえベランダに出て外を見てみない。
勿体ぶった偽物の装飾を、ヤンキーに蹴破られたような気分だ。彼女の方がずっと本物だ。気圧されたまま、沼津の街で食事をして夜の芦ノ湖を見ながらキスをした。
キスの後で彼女は言う。今日は沢山キスしちゃったら今日はここまで。ステップワーン。足元の砂地がめり込んでいくように感じた。大人しく、彼女を自宅まで送って帰った。
1年後、彼女に電話してみると結婚する予定だという。おめでとう。じゃあデートしない?私が誘うと彼女は、でも結婚してくれます?と明るく聞く。ステップツーの次はステップスリーで結婚らしい。彼女は本物だ。
夢六夜
こんな夢を見た。
彼女は22歳のフランス人で、英語は拙い。私は富士山に程近い研修所に居て、彼女は交換留学生として日本に来た。
彼女は、私がフランス語を少々話すことに気が付いたようで、パーティの後、私の手をひいて森の中に入っていった。春先の木々は月に照らされて青く光っている。彼女の肌は乾燥して白く、瞳は月を照らして美しい。
彼女は私を引き寄せてキスをした後、英語が苦手なこと、フランスの自宅は居心地が悪いこと、お金がないこと、アメリカ人が研修所内で威張っていて嫌なこと、といったつまらない愚痴を堰を切ったように延々と語った。キスの恩義で相づちをうっていたが、私はイライラして来た。
これは何だろう。欧米人は、性を関与させないと打ち明け話が出来ないのか。彼女は今まで何度キスをしてきたのだろうか。
私はやさしく彼女の両肩を掴み青い瞳を見つめ、彼女の悩みは一時的なもので、明日の朝、カフェテリアでコーヒーを飲んだら忘れる筈だと言った。彼女は小さく頷きながら私に再びキスをすると、左様ならとフランス語で言って女子寮に帰って行った。
彼女と再び話をすることはなかったし、彼女は私に目をとめることすらなかった。
人生の多くのことはこの程度のことなのだと後から知った。
夢五夜
こんな夢を見た。
予知されるのが嫌いだ。フロイドであるまいし、360度の自由があるべき私の行動を予知されるのは不快だ。私には私のやり方がある。
北京のアパートで本を読んで週末を過ごす私は、酒が無くなったので、午前3時にアパート近くのセブンイレブンへ歩いて行った。
店員が「お前は毎日、酒を1本買っているだろう。」と言う。だしぬけに言われるとたじろぐ。その通りである。何時も携帯電話の微信(WeChat)で支払っているので、私の購買履歴がレジで見えるらしい。店員は笑っている。私も笑った。
私のこだわりはこの程度のものだったのだ。今の時代に居たら、多様な世間との接点のお蔭で、森鴎外は踊り子を妊娠させた挙句に神経衰弱になることもなかっただろうし、夏目漱石もロンドンで鬱病になることもなかっただろう。
情報が満ち溢れ、世の中が軽薄になるのは人間にとって良いことだ。自分を言い負かしたようでいい気分だったが、買ってきた不味い焼酎を飲みながら、アパートのデスクに突っ伏して寝てしまった。
時代が違うから昔とは現れ方が違うが、この男も北京で行き詰っている。
夢四夜
こんな夢を見た。
彼女は高校の同級生で、色白で小鹿のような肢体を持っていた。高校の中庭でダンスしてる時に友達に囃され、ダンスで上気したのと恥ずかしいのが相まって、灰色のTシャツを着た彼女が芝生を背景に頬を染める様は一葉の絵のようである。
一方私は劣等生で、しばしば授業を抜け出して学校近くの烏森皇大神宮の杜で独り本を読んでいた。
杜には巨木が生い茂り、地面には広葉樹の葉っぱが幾重にも積もって良い匂いだ。昼間でも薄暗く夏でも涼しいこの杜は私のお気に入りで、登校せずに朝からこの杜で英単語を覚え、弁当を食べて夕方家に帰ったこともある。
ある日、苦手な物理の授業を抜け出して烏森に行こうとすると、彼女がついてくる。暗い校舎の中で彼女の顔だけが白い。勇気を出して「一緒に烏森に行きませんか。」と話しかけると、正面から頷いた。目元と唇と頬が桃色で、別の生き物のように可愛らしい。
杜の中で、私のお気に入りの倒木に席をすすめ、彼女と並んで座った。彼女は、大学2年の時に私から一度電話をもらったのが嬉しかったこと、その後も電話が来るのを待っていたこと、大学卒業後は東海銀行に就職したことなどを話した。
私は、高校の時から彼女に憧れていたこと、高校の頃はいじけていたが今では一応の社会人として生活していること、今は北京で暮らしていること、彼女と結婚したいことを話した。横から見ると彼女の顔は立体的で、単身者用のお鍋のようだ。
すでに迷うことはなく、私と彼女は並んで座ったまま接吻した。少し歯垢の臭いがしたが、高校生だから仕方がないし、むしろ初々しくて結構である。
父親と性交するような嫌な夢ばかり見ていたけれど、今日の夢はとても良い。でも折悪しく、おしっこがしたくなった。このままではおねしょをしてしまう。私は正直に彼女に断って、一度起きることにした。
アパートの時計は朝の6:30だ。目覚ましが鳴るまであと30分しかない。私はおしっこを済ませると、ベッドに戻った。夢の続きを見るのは、回転するレコードプレーヤーに針を落として意中の音楽を聴くようなもので、慣れていれば簡単である。
烏森に戻った。でも彼女はすでに女子高生ではない。早回しのビデオのように画面が荒い。数十年前と今日の都合の良いことを嵌め合わせて他人に宣伝するのは卑怯だと平易な日本語で言うと、帰ってしまった。
尤もだけれど、折角夢に戻って来たのに割に合わないと思った。こんな夢は楽しくないので、もう起きようと思って起きた。6:50に起きて、何時もより1本早い北京市営バスに乗って会社に行った。前の席の男性の息がヤニ臭くて閉口した。
夢三夜
こんな夢を見た。
Michigan State Northville Mayberyparkに、私は息子二人とサイクリングに出掛けた。この公園にはMountain Bikeトレイルがあって、変化に富んだ自転車コースを楽しむことが出来る。
途中でしばしば、タイムトライアルをしている米人と出会う。彼らは時間を競ってコースを走っているので、ゆっくり自転車で走る者たちは、道をよけてやるのが礼儀である。
コース途中で行きかう人には声を掛けるのも北米では普通の風習なのだが、これが今日のトラブルになった。
私の長男は内気で、知らない人に声を掛けるのが苦手なのだ。同様に内気な性格の私は、自分の弱みを見せつけられているようで我慢がならない。でも長男はなかなか他人に声を掛けることが出来ない。
とうとう私は激高し、長男を問い詰めた。何故、コース途中で行きかう人に声を掛けないのだ。長男は「声を掛けていた。貴方には聞こえなかっただけだ。」と弁明したが、これが偏狭な私を狂わせた。
そんな卑怯な奴は私の息子ではない。この公園で好きなところに行くが良い、と私は長男に告げた。彼は悄然として去った。
1時間ほど経ち、陽が落ちてきた。長男の行方が判らなくなると俄然私は心配になって来た。アメリカの広い公園で行方不明のまま夜になると命に関わる。私はがむしゃらに公園を走り回り、人にたずねてまわった。
やっと向こうから自転車を押して来る長男に出会った。長男は「だってパパが向こうに行けと言ったから」と言う。私が悪いのだ。
死んだ父が現れ、「お前の欠点で孫を責めるな」と私の顔を拳で何度も殴りつけた。私の顔が肉片になって血が息子の顔に飛ぶ。息子の前で私を殴るのは止めてくれ、貴方は30年前に死んだじゃないかと叫んだ私の顔は長男の顔である。
夢二夜
こんな夢を見た。
戦争が始まり、私は戦争に行って死ぬことになった。
理不尽と思ったが、他人が死ぬことに世間は存外無関心である。大学へ進学予定の親しい友人は手続きをしており、死ななくて良いようだ。これはいけないと思って友人に手続きの方法を聞いたが、あからさまに迷惑そうで向こうへ行ってしまった。
どうも私は独りで本を読んでいる間に、校内で盛んに説明されていた手続きの締め切りを逃したらしい。
初等学校では、私以外は配管工や八百屋や畳屋のせがればかりが戦争に行くことになった。彼らにとって戦争は何時ものことで、学校に行かなくて良いので嬉しそうだ。
私は一緒に死ぬ彼らに、戦争に行ったら如何に無残に死ぬことになるかを説明しようと思ったが、今日与えられる旨い飯と給与を喜んでいる彼らに、将来を説明するのは愚かである。
戦争は、国土や固定資産、人命、および経済機能がある程度まで損なわれた段階でお終いになるのが常で、人命の損失は厭戦感情を増すために不可欠であることを本で読んだが、自分がその他大勢の役割で死ぬ気分は格別である。
嫌だ嫌だと思っていたが、今日は出撃の日である。出撃したら死ぬに決まっている。私は出撃用ロットに配備され、ゲートが開くのを待った。
ゲートが開き、私は唐突に北京の市中に放たれた。
北京は中国内では北方で、人種的に色が白くて背の高い者が多い。たまに色が浅黒く背の低いものは、常に南方戸籍の者である。日本人で中国語が不自由な私に注意を払うものは居らず、皆生活に忙しそうである。
中国は経済規模では世界二位だが、一人当たりの所得水準は日本より随分と低い筈なのに、私の住むアパートの駐車場にマセラッティがあるのに驚いた。他にもドイツの高級外車ばかりである。
北京の生活にも慣れたころ、中国人の同僚に戦争の時分のことを聞いてみたが、親族が戦争に関わった者は誰も居なかった。もう50年以上前の話である。
にわかに愉快になった私は「もうそんな時代じゃぁ無いよね。」と昼食の時に会社のカフェテリアで隣席の中国人同僚に話かけたが、急に左胸が苦しくなって昏倒した。
自分は随分前に死んでいたのだと悟った。
夢一夜