Luchino Vinsconti監督 「Death in Venice」 有名だけど駄作。美は儚い。
この1971年作の有名な映画は、1900年代前半の第一次大戦前、欧州では辺境貴族でさえも豊かだった時代が舞台です(後半にペスト流行が出てくるので、この時代だと推測します)。
グロテスクな高級家具を揃え、押しつけがましい生花を過剰に配置した豪華絢爛たるホテルセットの中で、ベネチアへ夏の長期滞在に訪れた、もう直ぐ没落する上流階級の女共(女主人、および子供の教育係の女)の振る舞い・観光地向けの高価なドレス・特注の大げさな帽子、女共とその子供達のベネチア海岸での贅沢かつ退屈な生態、ダイニング待合室の4重奏演奏家の聞くに堪えない調子外れの演奏、そしてホテル従業員の田舎芝居のような大袈裟な顧客対応など、悪意ある描写が延々と続く、Luchino Visconti監督の駄作です。
ストーリーとは関係が無いこれら執拗な描写は、Visconti監督が同性愛者特有の選民意識(高級好み、田舎者嫌い、女嫌い、健康嫌い、努力蔑視、俗物嫌い)をさらけ出したものです。変態監督は気色が悪いです。
主人公(ドイツ人の老作曲家)本人、およびホテル従業員とその他の卑しい者共はイギリス英語(ラテン語由来の古臭い表現が多い)で会話して場面は進んで行くので、この映画はイギリス・アメリカ市場を目当てに作成されたものと推察します。
主人公は音楽家ですが、新作に対してドイツ観客の囂々たる非難を受け、ショックのあまり神経衰弱に陥って、独りでベネチアへ夏の長期静養に訪れました。残念ながら彼の美の才能は尽きたのです。美しい妻との間の娘を病で亡くしました。高級娼婦の館で極めて美しく教養豊かな娼婦と合体しようとしても不能で、馬鹿にされます。才能が尽きた芸術家に良くある話です。八方塞がり、と言う奴です。
同じベネチアのホテルに長期滞在している一家の美少年に、主人公の目は釘付けになります。自分に尽きた美を生み出す才能の具現化を、美少年の容貌に見出したのです。悲しいですね。
しかし主人公は、美少年の容貌に恋するだけで、何ら行動せず美少年を熱っぽい瞳で見続けるだけです。プラトニックですね。美少年は自分の美貌に気が付いており、主人公をからかうようにじっと見返したりします。嫌なガキです。
上述の通り人生八方塞がりで、精神的に追い詰められた主人公は髪を染めて薄化粧をして、美少年とその家族をストーカーします。老人同性愛者の典型です。ストーカーしながら、ペストが蔓延した薄汚いベネチアの庶民街で、主人公は壁をベタベタ触ってその手で神経質に口元を拭います。ペスト感染確実です。
主人公は美少年に話しかけることすらしません。美少年の家族はベネチア滞在中に没落が決まった様子で(革命が起きたのか、破産したのか)、女主人は茫然自失で、観光客が去ってガランとしたベネチアに家族一同は無為に居続けます。お金が無くなった貴族は使い物にならないから、困りましたね。
ペストを避けて観光客が居なくなった寂しいベネチアの海辺で、波打ち際に遊ぶ美少年の姿を遠くから目で追いながら、染めた髪と薄化粧をペストによる大量の発汗で台無しにして、主人公は海岸の椅子から崩れ落ちて死にます。美は儚いです。映画お終い。
さて、以下は映画の後日談。Visconti自身が、美少年を求めて欧州で数千人の少年を集めた異様なオーディションを行って、気に入ったスウェーデン人のAndresenを美少年役として準主人公にしました。映画完成後、ViscontiはAndresenを愛玩物のように連れ回し、自身の同性愛者コミュニティ内で慰み物にしたことは悪名高いです。
父親は判らず、母親もピッピー暮らしの挙句に自殺してしまい、妹と共に祖母に引き取られて育った可哀想なAndresenは、金欲に目が眩んだ祖母によって子役デビューさせられました。惨めなことに、映画の後に日本へ二回ほど芸能ドサ周りをしています。情けないです。
Death in Veniceの美少年として世界中の注目を集めましたが、所詮は単なる美少年で演技力も皆無なので全く配役に恵まれず、音楽教師として平凡な人生を送り、今は魂の抜けた妖怪のような顔の老人になっています。映画の結末同様、Andresenの人生を見ても、美は儚いです。
話は脱線しますが、私の父母は両側の祖父母が裕福でした。従って1983年に50歳で未亡人になった私の母親には、相当額の遺産が残りました。当時の金で1億円程あった筈です(兄と私が相続する筈だった分を含む)。当時の1億円は相当な財産でした。1985年の私の就職後、母親は藤沢の実家で独り暮らしすることを選びました。
母親は若い頃、美しく英語が堪能な才女だったのですが、50歳にして既に、他人を見下す悪癖を持った贅沢好きの馬鹿女でした。
鎌倉のテニスクラブで毎日テニスをする習慣は人畜無害(クラブ会費は1万円/月)だったものの、毎年夏に軽井沢のホテルに1か月ずっと避暑滞在したり、年に何回も海外旅行に行ったり、実家を無駄に増築したりして(屋根は銅張り、庭の池を居間の床下に延長、狭い庭に妙なパティオを建てた)、虚勢を張って散財を始めました。更に80歳代前半に認知症を発症してから、デパート外商や新興宗教が実家に入り浸り、病的な散財に拍車が掛かりました。
40年近く母親と離れて暮らして来た兄と私が「独り暮らしを続けて来た母親の様子が変だ。認知症かも知れない。」とようやく気付いたのは母親が85歳の頃でした。手遅れでした。2019年に母親は遺産を全て使い果たし、貯金がゼロになりました。ゴミ屋敷と化した藤沢の実家は売却し、90歳の今、母親は場末の認知症者用の老人施設の6畳間で暮らしています。
美にしても贅沢にしても、失った後は惨めです。2022/11/23