失われた時を求めて プルースト著。新富町やよい軒のやよい麺 ルーツは中国杭州の高菜麺かしら?芸術の要諦は過剰(In Excess)にあり。
中国杭州に住んでいた時、中国人同僚のご厚意で、杭州旧市街の観光に連れて行って頂いたことがあります。私は中国7年間の駐在勤務中、一切観光をしなかったので、これは貴重な体験でした。
そもそも私が中国で一切観光をしなかった理由は「未知との遭遇に心を揺さぶられることに疲れてしまった。」という、一般的には理解し難いものですので、説明は割愛します。
杭州旧市街で昼食のために有名な料理店に入りました。その店は、辛子高菜炒めが乗った汁麺が有名とのことでした。
フランスの作家プルーストの著作に「失われた時を求めて」があり、その中で、マドレーヌを紅茶に浸して食べた瞬間に、昔の幸せだった頃の記憶が蘇るという有名な一節があります。同様に、私は杭州で辛子高菜炒め麺を食べた瞬間、「これは新富町やよい軒のやよい麺じゃん。」と昔を思いました。とても懐かしい思いでした。
残業中の夕食のため新富町やよい軒に毎晩通っていた、会社で奴隷同然の下働きの独身20歳代・1980年代後半・横浜郊外の薄汚い独身寮住まいの私が幸せだったかどうかは客観的に疑問です(下らねえ残業で、徹夜したことすらあった)。しかし主観的に申しますと、当時は心に迷いが無かったという理由により、悠悠自適のフリーランスの既婚60歳代・2020年代・都内のキレイな自宅一戸建て住まいの現在の私より、当時の私は精神的に健全だったと思います。
新富町やよい軒はご夫婦で経営されておりましたが、開業から40年が経過した今年夏、ご夫婦は引退されました(私は「個人経営の飲食店 最大で40年が寿命論」を唱えております)。膝を悪くしたという親父さん、長いこと有難う御座いました。細くなった腕で鍋を振る姿を垣間見て、痛々しさを感じておりました。
ご夫婦の後を、複数の若手が妙な熱気で店を引き継ぎましたが、屋号を「築地やよい麺」に変え、妙なロゴマークまで作った様子を見て、私は「やよい麺のチェーン展開による金儲けが目的の、貪欲な輩どもだな。」と推察しました。生きていくために、お金は必要ですからね。
私が往年のやよい麺を好きだった理由は、その「過剰(In Excess)」です。麺は固すぎ・太すぎ・縮れすぎ、辛子高菜炒めは辛すぎ・多すぎ・塩辛すぎ、化学調味料が多すぎ、そして麺も具もスープも量が多すぎ、で味覚中枢もお腹も一杯になりました。旧日本合成ゴム社員(仮称)の間では「親父さんの汗が、味のアクセント」と言う声も多かったです。将に1980年代の若いサラリーマンにピッタリの料理でした。以下、往年の写真です。
ところが悲しいことに、複数の若手が引き継いだ後のやよい麺は、固麺ながら普通の細麺、辛子高菜炒めの味も量も普通、化学調味料控えめ、そして麺も具もスープも量は控えめで「これじゃ郊外チェーン店の特徴のないラーメンじゃん(怒)。」と私がはしたなく冷静さを失うほどに、変わり果てておりました。でも、上述の推察に即して考えれば、当然の帰結ですね。以下、最近の写真です。
2葉の写真を見比べて、突出した芸術における「過剰(In Excess)」の重要さに気が付いて頂ければ幸いです。2022/11/21