例え佐賀県立大学が設立されても、県内に魅力的な就職先が無かったら学生は県外に就職先を求める筈。現代の中国人は老子の「小国寡民」を知らないんだってさ。
1/19(日)は気温が低かったものの、風が無いので比較的暖かくて過ごしやすい日だった。
妻は早朝から車でランニング練習会に出掛けた(多分。妻の行先は常に判らない)。
私は気温が上がり始めた昼前に、自転車で東武練馬駅方面を目指して出発。
東武練馬駅前のモンゴル料理 あむ亭がオープンしていたので迷わず入店。ラム肉クミン炒め定食980円を喫食。クミン炒めは、甘くて辛くて塩辛くてクミン臭くて真っ赤で旨い。スープには酢をドボドボと注ぎ込んで、思いっきり酸っぱくして飲み干した。メリハリがきついと、何故か嬉しい。
食後の白い皿に丸く残ったギトギト赤い油を見て「中華の炒め物を食ったなぁ。」という達成感を覚える。クミンのツブツブが歯間にギッシリ挟まって難渋した。
日曜日12時半の店内客数は私を含めて3名。内モンゴル出身の店主オッサンはTVバラエティ番組が好きな様子で、料理が終わった後は客用のTVを見て笑っている。呑気で良いですね。
食事後は自転車で和光樹林公園へ赴き、ベンチで歯間ブラシと歯ブラシを行って歯列矯正リテイナーを装着。ベンチで読書。頭が寒いから、アクリル毛糸帽子を被る。
公園付属の和光市体育館で、自治体主催でヒップポップ等の子供向けレッスンを行っている様子で、中学生位の女の子たちが髪をお団子にして楽しそうに三々五々集まっていた。可愛いですね。
誰でも参加出来る軽い運動が「カッコいい」ものとして受け入れられて、皆さんが気軽に参加出来るのは、とても良い風潮だと思います。
私が子供の頃(1970年代)の運動・スポーツは遍く「根性・精神」主義がまかり通って、体格が劣った奴(=ワタクシ)はひ弱な落ちこぼれと誹られて、体罰・いじめが当たり前で、実に憂鬱な雰囲気でした。当時のスポーツ指導者どもは地獄に落ちると思う。
お話変わって、佐賀県の県立大学計画のお話。
私が現在住んでいる練馬区人口は80万人弱、私が15年前位に住んでいた佐賀県全部の人口も80万人程度です。都内の区の人口v.s.九州の県全部の人口が同じ位、という点に注目です。
その佐賀県に、佐賀県立大学を新設する計画があるそうです。設立場所は、佐賀駅近く佐賀警察署とドン・キホーテの東側。今は微妙な数の部署の入っている佐賀合同庁舎が建っています。私が15年前に住んでいたアパートから徒歩10分の場所です。
佐賀市内は地盤が軟弱な地域が多く、当該エリアにも木造平屋建ての古い公営住宅が沢山残っています。
佐賀県内には既に国立佐賀大学・私立西九州大学の二つがあります。佐賀県から通学圏にある、福岡県と長崎県には大学が沢山あります。佐賀県内の大学数としては2つで充分じゃありませんか?だって佐賀県の人口は東京練馬区と一緒位ですよ?って思います。
佐賀県に新卒大学生を定着させて佐賀を栄えさせるため、っていうのが最大の県立大学設立目的らしいですが、例え佐賀県立大学が設立されても、県内に魅力的な就職先が無かったら、学生は県外に就職先を求める筈です。敢えて佐賀県内で就職しようと考える方(多くは佐賀県出身者でしょう)は、佐賀県外の大学を卒業しても努力して佐賀県内で就職します(実例を多数見ました)。寧ろ現下の根本的な問題は、佐賀県内の就職先の少なさです。
佐賀県内の就職先の少なさをさておいて対策を立案するならば、ワタシだったら「佐賀県就職のための奨学金」って制度を作って全国の大学生を対象に希望者の学費支援をして、その代わり大学卒業後は佐賀県内企業に就職して10年間勤務して、10年間地方税を佐賀県に支払うこと、って制度を作るけどなあ。この方がコストが安いし効果が目に見えるから。
佐賀県立大学の設立費用と運営費用を100%佐賀県が現行歳入の中で賄うことは不可能だと思われます。少子化が進むのに将来払いの借金(地方債)、あるいは地方交付税頼りになります。
上述の通り、人口比で言うならば東京都練馬区内にも大学を誘致しろよ!って理屈になりますが、そんな非経済的なことを主張する練馬区民は誰も居ません。練馬区民偉い。
福岡県で経営破綻して閉校に追い込まれた大学があるし、関西でも最近の大学閉鎖の事例が複数あります。日本全体でも少子化による学校間の競争激化により、今後は経営破綻する大学が続出することが予想されています。
そんな世情の中で県立大学を新設するなんて、佐賀県民はチャレンジャーと言うべきで感服します。佐賀は平和で良いですな。
佐賀県内に本社がある大企業は久光製薬位だから、佐賀県民は現在日本の経済地殻変動と世界の成り行きを身近で感じていない、って背景があるのかも知れません。知らんけど。
然しながら、それで問題なく暮らしていけるのは幸せだって、中国の老子が「小国寡民」で述べております。高校の漢文教科書に載っていたので覚えているワタクシ。
しかし2022年に中国の杭州で働いていた頃、この漢文を中国人の大卒同僚に見せたら全然知らなかった。逆にワタクシが「凄い!偉い!」って中国人に褒められた。何じゃそりゃ?
日本の高校で1970年代末に私が教わった漢文は、共産党支配の現代中国と何の関係もないらしい。
小国寡民。
使有什伯之器而不用。
使民重死而不遠徙、雖有舟輿、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。
使民復結縄而用之、甘其食、美其服、安其居、楽其俗、隣国相望、鶏犬之声相聞、民至老死、不相往来。
小国寡民。
什伯(じゅうはく)の器有れども用ゐざらしむ。
民をして死を重んじんて遠く徙(うつ)らざらしめば、舟輿(しゅうよ)有りと雖(いへど)も、之に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳(つら)ぬる所無し。
民をして復た縄を結びて之を用ゐ、其の食を甘(うま)しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましめば、隣国相望み、鶏犬の声相聞こゆるも、民老死に至るまで、相往来せざらん。
2025/1/20