1980年代の勤務地 築地訪問。街は随分変わった。新富町の東京築地やよい麺1,000円。京橋のビル解体。
3/30(土)は大変良いお天気で風も無く暖かで、絶好の行楽日和です。
私は元気に自転車で、練馬から築地まで参りました。片道1.5時間弱。
良いお日和に誘われて、築地の場外市場を訪れる観光客(欧米人観光客が多数)が多いようで、築地駅周辺の歩道は人波で身動きが出来ない程の大混雑でした。
私が築地の会社に勤務していた1980年代、休日出勤すると土日の築地界隈は常に閑散としていました。
築地はかって平日専業の魚介類流通の街だったけれど、今や週末も混雑する観光の街。時代が変わりましたね。
現在のやよい軒(現店名は東京築地やよい麺)は土曜営業しております。お昼は11:30開店。
私は11:30、お店に一番乗り。やよい麺1,000円プラス具の大盛り150円で1,150円。やよい麺は既に高級料理ですな。
最近の口コミで「やよい麺は味が薄い」との文句を多く見たので「味を濃くして下さい。」と注文を付けました。年寄りは注文が多い。
①最初の写真はやよい麺の着丼風景。ムーン、これで具大盛りかぁ。具が少ないなぁ。年寄りは文句が多い。
②次は麺リフテッド。極太モシャモシャ麺は健在。
③その次は店内の光景。物足りない位に大変清潔。1980年代には「ゴ〇が足を滑らせて転ぶ位、床が脂でヌルヌルしている」と言われていた(らしい。知らんけど)。
赤いテーブルは健在。以前は椅子も赤かったような気がするけれど、幻覚だったのかもしれない。1980年代に乱雑に積んであった、染みだらけの漫画と週刊誌は無くなった。これも時代ですな。
④お店のメニュー。夜は居酒屋メニューもあるけれどメニューに掲載されておらず、個別注文になるようです。
味を濃くしてもらったけれども、1980年代の私の記憶に残っている塩と辛味がガツンと効いた野蛮な味には程遠い、優しい味です。これが令和の時代、SDGsに配慮したお味ってやつでしょうか。
1980年代のやよい麺は油まみれの安い豚肉で、塩味がきつい安くてしなびた酸っぱい高菜で、具はデフォで充分に多くて、麺も丼の底から湧いているんじゃないかって程に沢山入っていました。「もう、ええわぁ!オマエはしつこいんじゃ!」と言いたくなる程でした。
しかし今日のやよい麺はお肉も高級で高菜もシャキシャキとした歯触りで、味は上品で麺の量も程よく、まるで安いホルモン焼きを食べたかったのに高級なフランス料理を食わされた様な違和感が御座います。
下品なものが食べたくてイライラして、上野に行って安い焼肉を食べようかと思ったのですが、今日の街はお日和に誘われて繰り出した人々で大混雑であることを思い出して、大人しくそのまま自転車で築地から北千住経由で荒川堤防に出て、荒川沿いに高島平まで北上して、練馬の自宅に戻りました。
追記その1。
新富町のやよい軒訪問の後、ルートには選択肢がありました。
1)北千住経由で荒川沿いに自転車で走って練馬まで帰る。結果としてこれを選択。
2)2006年頃に半年くらい住んでいた、千葉県の新浦安駅近辺を視察。
3)築地つながりで、豊洲とお台場を視察。
実は2)をトライしたのですが、清澄白河地域内で道に迷って空しくなったので、諦めて1)を選択しました。2)の途上で久しぶりに清澄橋を渡りました。
清澄橋は重厚な鉄板で橋を釣り上げている、世にも珍しい構造です。この橋は関東大震災後の復興事業の一環で建築されたもので、太平洋戦争による米軍の東京空襲にも拘らず焼け残りました。
追記その2。
私は2002年頃、京橋の八重洲片貝ビル4Fにあった会社に所属しておりました。ビルが解体され、跡地に13階建てのオフィスビルが建つようです。
当時、7階建てだった八重洲片貝ビルの管理会社のおっさんが「1F&2Fに銀行専用の大型金庫を作り付けにしてあります。若しも1F&2Fの三菱UFJ銀行が退去したら、このビルはお終いです。」と言っていたのを思い出します。お終いになったんでしょうね。
これも時代ですなぁ。
追記その3。
私が1980年代に勤務していた築地の会社ビル近くの交差点に面して雑誌屋さんがありました。私は毎週、この店で週刊文春を購入しておりました。
店主は私が1985年に新入社員だった22歳の時に既にお爺さんだったので、当然に亡くなったものと思います。閉店後の写真がこちら。
追記その4。
同じく1980年代、会社近くにあった銀座キャピタルホテル本館が閉館しました。当時からこのホテルにお客が居るのを見たことがなくて、「経営が苦しそうだなぁ」という気配がありました。確か、はとバス系列のホテルで、ホテル前がはとバス発着場所でした。
取り壊し後の現在、オフィスビルの建築中です。これも時代ですなぁ。
2024/3/30