私は生涯で何ヵ所に移り住んだのかしら。数えてみたら合計18か所でした。就職後で住んだ場所を数え上げたら14カ所。
①0歳~2歳:小田急線の鵠沼海岸駅近く。一戸建て。父親が三井東圧社員だったので社宅。物凄く広い敷地だった。今は大きな屋敷が四軒建っています。
②3歳~4歳:大阪府高石市。同じく社宅。一戸建て。高砂コンビナートの近くで、夜は社宅二階の窓からコンビナートの煙突の炎が見えた。総コンクリート造りの一戸建て社宅でした。同じ造りの一戸建てが15軒くらい一カ所に建っていました。今は三井化学の独身寮(羽衣寮)だけが残っています。高石市立高石中学校の隣です。自家用車はスバル360で、父親が週末に自分でエンジンを修理していました。私は排気ガスの匂いが好きでした。
③5歳~6歳:小田急線の片瀬江ノ島駅近く。一戸建て。同じく社宅。今は大きな屋敷が六軒建っています。物凄く広い敷地だった。私は独りで庭に大きな穴を掘ったり、庭の木に登ったりして遊ぶのが好きでした。
④6歳~22歳:小田急線の鵠沼海岸駅から徒歩5分。父親が購入した中古の一戸建て。1960年代に建てられた家。敷地は300平米だった。公道に面した間口が狭くて(2mギリギリ)、母親が認知症になった時に売却する際、大層苦労した(要するに、安くしないと売れなかった)。
⑤23歳~27歳:横浜市青葉区。就職した会社の独身寮。4階建てで個室は6畳程度。お風呂とトイレは共用。夏はエアコンなし。一方、冬は温水スチーム暖房で暑い位だった。
⑥28歳~29歳:静岡県富士宮市。国内留学した寮。2階建てで個室は6畳程度。お風呂とトイレは共用。樹海近くで、自然に囲まれてとても快適だった。
⑦30歳:アリゾナ州グランデール。MBA学校。キャンパス内の独身寮は12畳程度。シャワーとトイレは共用。私は頭が悪いので、独身寮に引き籠って一所懸命に勉強していた。
⑧31歳~34歳:横浜市緑区 長津田駅から徒歩15分。社宅扱いの4階建てマンションで55平米程度。30歳の時に今の妻と結婚したので、マンション住まい。長男がここで生まれた。
⑨35歳~40歳:横浜市青葉区 青葉台駅から徒歩10分。会社所有の築古4階建て団地。60平米程度。次男がここで生まれた。青葉台は裕福なサラリーマンの街ですな。
⑩41歳~44歳:ミシガン州デトロイト郊外。戸建て。確か屋内は300平米位で暖炉があった。
妻と息子たちは英語を直ぐに身に付けて、とても生き生きと現地に溶け込んで暮らしていた。私は東京本社と現地顧客の板挟みになって苦しかった。帰任が決まった時、既に現地に馴染んでいた妻と息子たちが帰国を嫌がって、私を悪者・馬鹿扱いするので難渋した。
赴任当初は英語を話せるのが私だけだったので、家族内で私の地位はとても高かった。しかし4年間の赴任後半には、息子たちが私の英語の拙さを笑うようになってしまった。
⑪45歳:千葉県新浦安駅近く。日本に帰任してからは賃貸マンションに住むことにした。100平米程度。新浦安は人工的な街並み(そりゃ埋立地だから当たり前)で、小中学校の教育レベルはとても低かった(千葉県日教組の教員の質は劣悪で有名らしい)。私はこの嘘くさい街が大嫌い。
⑫46歳:東京都昭島市。山梨県で新たに起業する会社の準備室。レオパレスの20平米の個室。室内温度と外気温が全く一緒。夏も冬も辛かった。昭島市以降は以降は51歳まで単身赴任。
昭島市はとても物価が安かった。昭島市は何故か水に恵まれていて、水道水は地下水を使用しているらしい。
街中に中小企業の工場がとても多かった。最近では食品加工の工場と倉庫がとても多い。
⑬47歳~48歳:山梨県北杜市。別荘地に工場が建ったので赴任。60平米程度の新築アパート。冬は氷点下が当たり前でとっても寒かったけれど、夏はエアコンが要らない位に爽やかだった。水道は湧き水を使っているので100%のミネラルウォーターが出てきて、安い蕎麦を茹でても、とても美味しく出来上がった。
温泉・室内プール・テニスコートといった公共施設が充実していて、しかもガラガラだった。ガラガラすぎるのは宜しくありません。テニスするにも仲間が必要なので。
残念ながら山梨県に美味しいものはありません。景色は良くて空気は美味しいですけれど、それに伴って美味しいものは無いんです。美味しいものは夾雑物ですから当然で、仕方がありません。
スーパーの鮮魚売り場では、刺身はマグロしか売っていないので一面真っ赤です。鮮魚売り場に馬刺しも当然のように並んでいます。同じく真っ赤。
⑭49歳:佐賀県佐賀市。60平米程度の新築アパート。涼しい山岳地帯から蒸し暑い九州に引っ越したので、気候ギャップに驚いた。九州は、東京中心の日本国とは別の国のような雰囲気があった。
佐賀県は物価が安くて、美味しいものが沢山あります。美味しいものが乏しい山梨の山奥から引っ越してきた私は、スーパーで買い物する時は幸せのあまり気分が高揚していました。
一方、佐賀県民はとても保守的で、改革の気質には乏しいと感じました。
⑮50歳:茨城県土浦市。業務研修で3か月ほど住んだ。6階建ての会社独身寮。10畳程度でシャワーとトイレは部屋の中にあった。
霞ヶ浦のせいか、水道水がヌルヌルしていて不味かった。街中にヤンキーが沢山居た。典型的な北関東の田舎町。風俗が身近にある。
冬に、スーパーのベンチに一日中座り込んで温まっている老人の群れを見て驚愕した。
⑯51歳~53歳:東京都練馬区 石神井公園駅近く。単身赴任終わり。51歳で広さ80平米程度の新築建て売り一戸建て自宅を購入して、家族と同居を再開した。
東京でセールスマンをやった。納入業者を罵倒する購買担当者は、醜い顔の方が多かった。家族との仲は最悪。
⑰54歳~59歳:以降は会社リタイアまで中国で単身赴任。中国北京市。50平米程度の薄汚い築10年程度のワンルームマンション。室内も共有部分も、とても薄汚くて気持ちが悪かった。物凄い手抜き建築だった。
北京市は政治の街なので、街の雰囲気がピリピリしていて楽しくないし、食べ物はやたらと塩辛くて、嫌な街だった。私が赴任した2015年時点で、街中でも役所でも英語が全く通用しなかった。役人が異様に威張っていた。
降雨量が少なくて、街中がホコリで薄汚れていた。街中が常に臭かった。
⑱60歳:中国杭州市。100平米程度の新築マンション個室。とてもキレイで快適だった。
北京市と比較すると、街の雰囲気が柔らかくて人々も友好的だった。でも中国語が訛っていて、聞き取るのが困難だった。南国なので雨が多くて、ホコリやスモッグを洗い流してくれるので比較的快適に過ごすことが出来た。食べものは何でも美味しかった。
60歳でリタイアした後は、上述⑯東京都練馬区の石神井公園近くに購入した自宅に住んでいます。息子二人は就職して独立したので、妻と二人暮らしです。
累計すると、私の単身赴任生活は14年間でした。結婚して30年、その内で単身赴任が14年間。ムーン。
こうして数え上げていくと、私は生涯で18か所に移り住んできたことが判りました。
次は⑲墓地が19か所目かしら。待ち遠しくてウキウキ❤
就職後で住んだ場所を数え上げると、14カ所ですな。
住んで楽しかった街を一つだけ挙げるとしたら、佐賀県佐賀市です。
土地が安いから家が安く建つし(2,000万円台で、キレイな新築一戸建てが買えます)、物価が安いし美味しいものが多いし、若い女性はキレイで生き生きしているし、温泉・室内プール・テニスコートといった公共施設も充実していて、且つ空いています。でも人口は多いので、テニスの仲間探しも容易です。
唯一佐賀市の弱点を指摘すると、子弟の教育環境には恵まれていません。良いこと悪いこと表裏ありますが、あまり勉強熱心な街ではありません。高校生は毎日夜8時過ぎまで部活(異様に剣道が盛ん)をするのが当たり前みたいです。上意下達を素直に受け入れる風土です。妙にカラフルな自転車に乗った高校生が多いです。
私は上意下達の風土習慣が大嫌いですが、住む人々がそれで幸せならば良いと思います。
2023/10/25