1980年代、地方都市ではイトーヨーカドーとファミレスが輝いていた。2023年の今、何故彼らが地方都市で輝きを失ったのか考えた。
Unabomberと言われた北米の連続爆弾事件の犯人 Theodore John Kaczynski 81歳が獄中で死亡しました。彼は1970年代後半から1990年代にかけて北米内で複数回の爆弾テロを行った犯罪者ですが、厄介なのは彼が数学の天才で、ハーバード大学に飛び級で入学した特待生だったことです。
天才は必ずしも社会の発展に貢献しないし本人も幸福になれない、と言う事実は衝撃的なことで、社会の信頼の拠り所が破壊されたと感じました。
この事件は、北米でRobin Williams、Matt Damon、Ben Affleckが出演してアカデミー賞を受賞した「Good Will Hunting」の主題(天才と社会双方にとって幸せな、天才の生き方はどうあるべきか?天才の社会的効用にメリットを求めるのは奴隷搾取と同じではないか?)になっています。
私がUnabomberの死亡に際してショックを受けたのは、当時あれだけ社会に対して、その価値観を揺るがす衝撃を与えた事件の当事者が亡くなったのに、今日の世間は全く無関心で、世間は何時ものようにゴミみたいな些細なニュースや芸能ニュースに夢中だったことです。
畢竟するに、ニュースなんて世間に不要なんだな、世間は自分のことにしか関心が無いんだな、と再確認した次第です。
お話変わって、私は1980年代前半までの学生時代まで、神奈川県藤沢市鵠沼の実家に住んでおりました。尚、母親の認知症が進んだので、実家は2年前に売却済みです。2023/5月初めに母親の葬儀に際して藤沢駅近隣ホテルに宿泊して、学生時代に慣れ親しんだ藤沢駅周辺を歩き回ったので、その時に気が付いた1980年代と現在の違いについて、2点気が付いたことを記録します。
1980年代、地方都市の藤沢ではイトーヨーカドーとファミレスが輝いていました。2023年の今、何故彼らが地方都市で輝きを失ったのかを考えてみたのです。
①インターネットのお陰で、情報が居ながらにして誰でも入手可能になったこと。
1980年代、情報や教養はそれが提供される現場に行かないと入手出来ないものだったので、誰もが忙しく様々な場所に移動して、情報や教養を入手する必要がありました。今日、安いPC一台(および少々のお金)があれば、大抵の情報や教養は入手出来ます。
更に1980年代、「現地に行かないと判らない」ことが極めて多かったのに対して、今日、現地に行かなくても予め多くのことを知ることが出来るようになりました。
これらの結果、1980年代に比較して今日は「出不精の臆病者でも社会参画が出来るようになった」と言えましょう。
オブラートに包んで話を一般化するのは卑怯者の所業だと思います。私の1980年代の性向から具体的に説明します。
出不精の臆病者だった学生時代の私は、学校に行く以外では精々藤沢の駅周辺にしか出掛けず、それも実家から自転車で15分程度の藤沢駅南口、藤沢イトーヨーカ堂やファミレスのデニーズに「独りで」頻繁に出掛けていました。
当時は藤沢イトーヨーカ堂に本屋もレコード屋も入っていて、それ以上の情報をあまり私が欲していなかったという事情もありますが、今日から見ると「世間の狭い情けない若者」だったと思います。
当時はそういった生活態度によって私は情報弱者・教養弱者・世間弱者だったのですが、今日であればインターネットのお陰で全く問題にならなかっただろうなぁ、と気が付きました。
②多様な商業発展のお陰で、格好良いファッション・美味しい食事が安く手軽に入手可能になったこと。
1980年代、藤沢のような地方都市において、商業施設は地域デパート(さいか屋、名店ビル、ダイヤモンドビル)とスーパーマーケット(イトーヨーカ堂、ダイエー)だけでした。所謂、格好良いファッションは、渋谷・青山・池袋などに出掛けないと手に入りませんでした。今日、商業発展のお陰で、藤沢のような地方都市でも都心と遜色ないファッションが手に入りますし、インターネットで購入すれば場所の制約は皆無です。
オブラートに包んで話を一般化するのは卑怯者の所業だと思います。私の1980年代の性向から具体的に説明します。
出不精の臆病者だった学生時代の私は、洋服は専ら藤沢駅南口のイトーヨーカ堂で購入していました。それでも、私にとっては充分に冒険と言えるほどの消費者活動でした。尚、当時の藤沢駅北口 さいか屋の紳士服売り場の店員が居丈高だったことは、生涯忘れません。
さいか屋の外商に認知症の私の母親が随分と金をむしり取られた事情もあり、地域百貨店 さいか屋は日本の多くの地域百貨店の例外に漏れず、早々に社会から退出して頂きたいです。
今日であれば地方都市の藤沢でも、格好良いファッションや美味しい食事が気軽に手に入るし、ファッションはインターネットでも購入出来るから、住みよい世の中になったものだなぁ、と思いました。
藤沢の駅近くで、女子高生らしいグループが休日に真新しいサイゼリヤ等で食事会をしている光景は、微笑ましくも羨ましいものでした。
以上を総括すると、1980年代にイトーヨーカドーとファミレスが輝いていたのは、当時の地方都市の不便さが理由です。
2023年の今、イトーヨーカドーとファミレスが輝きを失ったのは、地方都市が便利になって選択肢が増えてオシャレになったということですから、慶賀の至りと思います。要するに、今日では地方都市も充分に過ごしやすくなったということになります。
残るのは街の総合的な魅力レベルと、住んでいる人々の民度レベルの問題になります。上述の通り、1980年代と比較するとインターネットと商業発展のお陰で夫々の街の優劣差ハードルは随分と低くなったので、今や街の真の実力が問題になっているのだと思います。2023/6/12