練馬区の住宅地 夜明け前の静寂に響く、新聞配達のバイクの音。テレビ・ラジオ・新聞は死んだ。内科医と薬剤師が余る日は近い。元一橋大学学長の阿部謹也さんの言葉。
リタイヤしたお陰で、私の起床時刻は大変自由です。朝寝坊もありますが、年寄りなので早朝に目が覚めることも多いです。最近は早朝に目を覚まし、少し本を読んだ挙句に眠くなって2度寝することがあります。すると、2度寝の頃、朝4時半前後に練馬区一角の一戸建て住宅地域の夜明け前の静寂に新聞配達のバイクの音が響き、新聞をポストに投函する音が聞こえます。
私は早朝に窓を開けて室内に冷気を入れることも多いので、私の自宅周辺30軒以上の一戸建て住宅群に新聞を配る音を早朝に聞いています。驚くべきことに、新聞を購読している家は、周辺30軒ほどで2軒だけです。既に、新聞に「社会の木鐸」機能を期待している方は居ないと言うことです。
当然ながら、私も新聞を購読しておりません。稀な機会ですが、歯科医・病院・公共機関などで新聞や週刊誌を読むことがあります。しかし、その読後感は「まだこんなメディアが残っているんだ・・・」と言う、極めて冷淡なものです。
何故なら、それらメディアの記事内容が優れていれば敬して読ませて頂くのですが、残念ながら安っぽい内容と安っぽい日本語表記が多く、読むに堪えないからです。
駅前で朝、年寄り共産党爺さんたちが配っている「カビの生えた政治ビラ」と遜色ない程の落ちぶれ様です。
テレビはYoutubeに、ラジオはTwitterに、新聞雑誌はブログと無料ニュースに、無残に負けました。勝負はついています。これら旧来型メディアに従事している皆さんは、多くの方々が5年以内に職を失うと予想します(一部の雑誌は除く)。
私はサラリーマン時代(且つ、インターネットの普及前)の1900年代終わり頃に、日経その他メディアの若造記者の取材対応をした経験があって、これら旧来型メディアの方々が当時の情報伝達の独占に胡坐をかいて、不勉強な癖に取材態度が傲慢な様に腹に据えかねるものを感じていたので、今日の旧来型メディアの凋落に同情は一切感じません。
これは情報産業のIT化によって不要とされる業種の一例ですが、社会構造変化はどの分野でも毎日起こっていることなので、何ら物珍しいものではありません。
しかしながら惜しむらくは、生身の人間によるマニュアル対応が避けられない業種に対して、IT化の恩恵を受けた業種に従事している方が増長して「割に合わないマニュアル仕事をして、薄給を貰っている奴はバカだ。」と言う罵声を浴びせる卑しい社会風潮があることです。明日は我が身なのに、愚かなことです。
勿論、人生では上手く立ち回った方が得ですが、効率的に金を稼ぐことが優れた人である、或いは金持ちが偉い、と言う人生定義は間違っているので、粛々と自分の身の丈に合った仕事に従業して、仕事それ自体を教養とするような日々を暮らしていくのが、倫理的に正しい社会人の姿です。・・・・と、マックス・ウェーバーが「プロ倫」にて申しております。
・・・・というのは私の記憶違いで、世間の中での人の生き方を説いた、中世の民衆文化の研究者にして元一橋大学学長の阿部謹也さんの言葉でした。
昨日のコロナワクチン3回目接種のお陰で、順当に今日は体がだるくて寝込んでいます。私の体内では抗原抗体反応が無事に行われているのは喜ばしいことですが、それに伴って寝込むのは私が「弱い個体」である証拠です。
北京で血液診断薬製造の会社で勤務していた時、抗体仕入れ先のデンマークのメーカーの者が北京にやって来ました。私の勤務会社が購入している抗体はウサギを使って製造していたそうですが、抗原を注射するとへばってしまってイキの良い抗体が出来ないウサギ、抗原を注射しても元気一杯でとても強力な抗体が出来るウサギ、がハッキリ分かれたそうです。