我が人生の後悔。藤沢市の公立中学生の私は、無能な教師共へ卑しく迎合(内申点欲しさ)した。藤沢市立中学に勤務していた日体大学出身のOS。
人には誰しも恥と感じている過去の事象がある筈です。まあ、これを感じないお目出たい方々が、社会で成功者になるのかも知れません。何れにしろ私は、45年前の藤沢市の公立中学在学中の自分の態度を恥ずべきものだったと回顧します。
1970年代の神奈川県の高校入試は、悪名高い「中二の三学期成績+中二末アテスト+中三の二学期成績+入試」という「神奈川方式」による評価でした。いまから思いかえしても厭らしい制度なのですが、要するに中学の内申点を入試評価に加えることで中学教師の権力を維持し、更に中二末のアテスト(Achievement Testという、入試に類似した神奈川県統一試験)を評点に加えることで、中二の段階から高校入試を意識させて生徒をコントロールし易くする、中学教師の恣意性を存分に尊重した制度でした。
例えこの制度であっても、公立中学の教師の質が良ければ何ら問題ないのですが、馬鹿げたことに当時の藤沢市公立中学の教師の質は絶望的に低かったのです。
私は市立小学校を卒業したのですが、教師の質は万遍なく優れており、更に生徒の資質向上に尽力して下さる担任教員に私は大変感謝していたので、当時、公立中学への進学に何ら不安はありませんでした。
然しながら、残念なことに公立中学は「動物園」でした。海沿い辻堂寄りに住む生徒は粗暴で低能と言うべき者が多く、教師も日教組に染まった左派無能の集まりで、鵠沼の住宅地にあった小学校と比較して、中学校の授業内容は劣悪でした。
これらにも関わらず、上位の県立高校への進学を志向する私は、恥ずべきことに、中二の二学期以降、無能な教師共へ迎合する道を選びました。要するに教師の質には目をつぶって、ひたすら各科目の授業担当教諭に胡麻をする態度を採ったのです。この結果、私の中二の三学期内申点はフルスコアに近く、アテストも満点近くだったので、私は中三を迎える前に既に県立湘南高校の合格は間違いなしの状態になりました。良かったね。
でも虚しいことで、県立湘南高校に進学した後、真の能力が露呈した低能の私はパッとしない成績のまま内向的な高校生活を送り、浪人しても学力は伸びず、パッとしない大学に進学しました。
これらの後日談は私の実力だから構わないのですが、公立高校入試制度の虎の威を借りた中学教師共の卑劣な言動は、45年前を思い出しても許しがたいものでした。
特に、日体大出身の体育教師 OS(長野県白馬のペンション カーサビアンカ五竜の管理人。2023/6月に閉館したらしい)について、記録に残しておきます。
彼は北朝鮮も裸足で逃げ出す極端な左翼活動教員で、担任クラスの新聞に「コミュニケ」と言う左翼丸出しの名前を付けて、クラス生徒に配っていました。学業を無視して左翼的なクラス活動に精力を注ぎ、放課後のホームルームが6時間を経過したことすらありました。恐らく彼は、当時の日教組や過激派学生の運動(成田空港・沖縄・国鉄・安保等。何れも公立中学に持ち込むな、と言う話です)に触発されていたのだと思います。
クラス活動が異様に極左的であることを非難する生徒(ワタクシなど)を敵視して、学校の隠密性を悪用した陰湿な嫌がらせを何度も行い、担当していた私の体育内申点には異様に低い点を付けました(まあ私は虚弱児でしたけれどね❤)。
今の治世だったらOSは100%犯罪者ですが、45年前は日教組が強かったので許されたのでしょう。今後、OSには必ず天罰が下ると思います。2023/3/17