大船駅の駅前から、丁度200段の階段を登った先にある寺の墓地。私の父親は優秀な化学エンジニアだったけれど、心は文学少年。大船軒 鯵の押し寿司の一切れが140円!なんだそりゃ!
10/14(月)はTシャツでも暑い位の晴れ。お昼過ぎに自宅を出発して大船の墓参りをした。1983年に若くして亡くなった父親に加えて、昨年2023年5月に母親が91歳、今年2024年4月に兄が66歳で相次いで亡くなり、大船駅前の墓に入っている。 兄とは昨年に母親が亡くなる際だけでなくそれ以前からもゴタゴタした関係があって、今年2024年5月初旬、兄の死後に火葬が終わった後、兄の長男からの電話で初めて兄の死を知らされた。抑々私は兄が末期肺癌だった(昨年に母親が亡くなる前から判っていた由)ということすら、知らなかった。 こういった経緯により、今年2024年6月に当該寺で実施された兄の納骨は欠席した。暑さも和らいだので今回、独りで墓参りをした。 昔からの父親方の墓は多磨霊園にある。しかし1970年代に父親方の祖父の遺産相続のトラブルがあった後、父親方の長男家とは音信不通(父親は三男)。それ故とは思うが1980年頃、大船裏駅の観音様隣りの黙仙寺の墓を、私の父親が死ぬ前に自ら購入した。 父親は大船表駅側にあった三井東圧大船中央研究所(現在はガーデンアソシエがある場所)が勤務先で、社会人としての人生殆どの期間を化学エンジニアとして同所に勤めて過ごしたので、自分が肝硬変で間もなく死ぬと判った時、「自分が勤めていた場所が見える場所に墓を買いたい。」という思いで同所に墓を購入した。 しかし1983年の父親死後、2000年代早々に同三井東圧の研究所は会社(三井東圧は三井石油化学と合併して、現在の三井化学になった)合理化のために閉鎖となり、跡地には巨大なマンション群が建設された。加えて、父親が亡くなった時に兄は既に都内で生活しており、生涯、湘南地方で暮らす考えはないと兄は明言していた。私も1985年に就職した後、湘南地方とは縁のない地域(横浜市青葉区とか静岡県富士宮市とかミシガン州とか千葉県浦安市とか山梨県とか佐賀県とか茨城県とか‥‥)に居住していた。 抑々上述の通り、父親の遺志は「自分が勤めていた場所が見える場所に墓を買いたい。」というロマンチックなものであったが、その研究所は醜いマンション群に変わってしまい、兄も私も夫々が結婚した後の家族も、湘南地方とは地縁が切れてしまった。 私は「これじゃ、大船駅前に墓を持ってる意味が無い。兄にしても私にしても、それらの子孫が大船駅前の寺の墓を維持し