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京都ラーメン魁力屋 汁なし台湾麺 刻みニンニクは一粒で二度美味しい(アーモンドグリコの粒粒みたい)。お釈迦様は、ホームセンターから自宅まで、20Kgの白砂利を抱えて2Kmお歩きになりました。

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今日はお天気が良かったので、11:00頃、近所の魁力屋に歩いて出掛け、太麵の汁なし台湾麺を食べました。魁力屋の通常ラーメンは細い縮れ麵で、硬い太麵好きの私の好みではありません。しかしながら、期間限定の汁なし台湾麺は太麵のようなので、喜んで出掛けました。 魁力屋の素晴らしいところは、テーブルに置いてあるニンニクが刻みニンニクであることです。擦り下ろしニンニクは鮮度と混ぜ物が気になって好みではありませんが、刻みニンニクは大好物です。 汁なし台湾麺と餃子に、刻みニンニクを大盛にして喫食しました。私は現在、インビサラインによる歯並び矯正中なので、歯の間に盛大にニンニクが挟まりますが、これは食後のお楽しみです(後述)。 オマケで付いてきた小ライスには、テーブルに置いてある真っ黄色のたくわんを添えて頂きます。 真っ黄色でシャリシャリ、極めて人工的なたくわん(写真参照) はどう見ても添加物のカタマリですが、私は既に61歳なので一切気にしません。 食後に店を出て歩きながら、歯に挟まった刻みニンニクの粒粒の余韻を嚙みしめます。小学校の頃に好きだったグリコのキャラメル「アーモンドグリコ」で、 キャラメルをなめ終わった後で噛みしめるアーモンドの粒粒(写真参照) の味は、将にこんな感じでした。 今噛みしめている刻みニンニク粒粒と思い出のアーモンド粒粒が口腔内で溶け合って、夢見心地です。私は変なクスリをやっているのでしょうか。 春らしい陽気の平日お昼過ぎ、草木の芽吹きを感じつつ、歯に挟まった刻みニンニク粒粒の余韻を口内にシーシーと吸い込んで楽しみながら、フラフラと道を歩く気分は格別です。 芥川龍之介の蜘蛛の糸にて、極楽でお散歩を楽しむお釈迦様のようです。 お釈迦様の自宅の狭い前庭には、雑草対策の白砂利を撒いてあります。 最近砂利が減って雑草共が生えやすくなってきたことをふと面白く思い出したお釈迦様は、2Kmほど先にあるホームセンターまでぶらぶらと歩いてお行きになりました。春の日はゆらゆらと心地よく、練馬の卑しい市井を照らしています。 お釈迦様はホームセンターで、10Kg入りの白砂利を2袋お買いになりました。1袋はお釈迦様のリュックに入ったのですが、もう一つは御自ら抱きかかえて持ち帰る必要があります。 ガーデニングコーナーのレジのおばちゃんに「この砂利抱えて、2Km歩くのは辛いなぁ。」とお釈迦

私の人生をTVドラマにしたら、面白いかしら。武者小路実篤が唱える「幸福」とは何か。

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仮面ライダーはバッタの改造人間なので、ライダージャンプは凄いのです(多分)。単なる跳躍のように見えますが、仮面ライダーが改造された経緯に思いを致しつつ、必殺技ライダージャンプを見たら感動するのが大人の嗜みです。しかし何で人間とバッタを合体する気になったのか、何でバッタ改造人間をヒーローにしたのか、理解に苦しみます。 仮面ライダーが放映されたのは私が小学校5年の頃で、級友にライダースナックを買ってライダーカードを集めている奴が居ました。 異様に勉強の出来ない子でしたが、後から思い出してみると、発育に問題がある子だったのかも知れません。 彼は、ライダースナック(一寸甘いセンベイみたいだった)を食べ飽きて、カードだけ集めてスナックは捨てたことがあると言っていました。 後のビックリマンチョコのシール、AKBのCD投票券、或いは地下アイドルの握手券に共通しますが、自立していない若者や子供をたぶらかす商売をやる奴は地獄に落ちると思います。 話が脱線しましたが、以下の通り私の人生を3通りのTVドラマに例えてみました。 ①学生時代:学園ドラマ。 庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」のように、日本人は頭の良い奴を貴顕と見做す習慣があるので、いかにツマラナイ内容であっても頭の良い奴が主人公なら人気が出るでしょう。 しかしながら 勉強の要領が悪くて(要するに頭が悪くて)、スポーツも苦手で、性格もいじけていて顔もパッとしない、何の取柄もない重症のアトピー性皮膚炎の高校生が主人公の学園ドラマ は、観ているだけで嫌な気分になることでしょう。 被虐的な資質を持った、勉強の出来ない学生だけが仲間を求めるように観る湿度の高いTVドラマとなり、視聴率は低いと思います。 まあ漫画で似たようなものと言えば、1970年代の佳作「男おいどん」みたいなものですかね。 ②サラリーマン時代:戦隊ものアクションドラマ。 私は正義の味方の主人公です。しかしながら毎週、 会社内と顧客共、すなわち悪の化身達に主人公の私がケチョンケチョンに痛めつけられます。 毎週痛めつけられて、悪の化身達が意気揚々と引き上げていく、見るに堪えないシーンでドラマは終わります。 悲惨に痛めつけられる人を見るのが好きな性格異常者だけが見るドラマになります。 しかし、他人が苦しむ様を安全な場所から眺めるのが好きな人は極めて多いので(私がサラリーマンだ

佐賀の美味しいもの 思い出

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佐賀には2010年頃に2年弱住みました。九州の夏が暑くて台風が激烈なのは予想通りでしたが(九州の雨粒は関東よりも大きくて、雨粒が顔に当たると本当に痛かった。噓のような本当の話)、冬の北九州エリアはとても寒くて、日本海側に近いせいで雪が降りやすいのは意外でした。特に佐賀は有明海の干潟が盆地のような役割を果たすようで、空気が淀んでいるために夏は蒸し暑く、冬は湿度のあるジットリした寒さがとても辛かったです。まとめると、夏も冬も過ごし難い嫌な土地が佐賀県です。 でも別に気にする必要は無くて、その後私が赴任した中国の杭州も、同じように夏暑くて冬寒い気候でした。しかし杭州育ちの中国人たちは、当然ながら全く気にしていなかったので、要するに「住めば都」と言うことだと思います。何処にでも青山があって良かったですね。 佐賀から福岡と長崎を小旅行(車で30分位)で訪れて、車で運んだ自転車で走り回って、福岡も長崎も、共に佐賀よりも格段に栄えていて観光地も多いのですが(佐賀には観光地が殆ど無い)、しかしながら佐賀と比較して明らかに物価の高いことが印象的でした。 とは言っても、その地域の物価は同じく賃金水準の鏡であり、佐賀には有名企業が久光製薬位しかないので、賃金水準も低かったのです。あまり喜んでばかりもいられませんな。 話が脱線しますが、佐賀は西九州新幹線に反対しています。これは尤もな話で、新幹線は佐賀に何もメリットが無いので、新幹線の費用負担を佐賀に求めるのは難しいと思います。 具体的には、佐賀は電車通学の学生が多いし、福岡に通う会社員のベッドタウンでもあるのに、新幹線が開通すると在来線はJRから分社化して地域ローカル線になって、当然ながら直ぐ赤字路線になります。佐賀県民はこの理屈を判っているから、新幹線に賛成する筈がありません。 更に上述の通り、佐賀に観光資源はありませんから、新幹線が開通しても敢えて遠方から佐賀に来る観光客は居ません。 佐賀では食べ物が大変美味しくて安くて、2010年頃の2年弱の間、私は幸せに暮らしていました。尚、唐津の透明なイカ刺身は有名ですが、イカ刺身は適度に寝かせて熟成して白くなった方が、甘みが出て美味しいものです。 佐賀の美味しいものとして思い出す、ベスト3は以下の通り。 ①ギョロッケ 魚のすり身にパン粉をつけて揚げたもので、見た目はコロッケですが中身は魚肉です

素材製造業に40年近く就業して感謝していること。当社の素材を使用した製品は、波及効果で大きな経済成長の効果を及ぼす。これと対比すると、金融商品は経済成長の先取りに過ぎないので、真の経済成長の効果を毀損して、しばしば計画と現実の乖離(=金融不況)を惹起する。

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私は素材製造業に40年近く就業して来ました。感謝していることは、大学で学んだ「産業連関表内の経済波及効果」を、業務を通じて実際に体感出来たことです。 私は40年間、主に合成ゴムその他の素材製品の管理や営業に従事しておりました。 例えば私が管理担当者として若い頃に関与したABC株式会社(仮名)の合成ゴム製品は、原料としてタイヤ製造業者に販売されてタイヤとなりますが、その過程で多数の労働者を雇用しますし、タイヤ製造のための他の素材購買も伴います。私の会社が販売した合成ゴムを含むタイヤは、当然、合成ゴム価格とは比較にならない高価格で、自動車メーカーや消費者に販売されます。その後、自動車メーカーやタイヤ販売店で、新たな雇用や経済効果を生んでいることは勿論です。自動車も、タイヤが無いと商品になりません。 始まりは私が就業していたABC会社(仮名)がタイヤ製造業者に向けて製造販売した、安価の合成ゴム素材に過ぎないのですが、そこから広がる経済波及効果は、雇用・金額合わせて数千万倍になります。 私は何ら高い特殊技能を持たないサラリーマンですが、そんな人間でも上述の巨大な経済活動に参画出来ることに、私はとても感動しました。 ポイントは「実際に新たな雇用や経済効果を生んでいる」ということです。人々の生活が掛っているのです。 この実態を目の当たりにして、若き日の純な私は「業務達成感」「社会への参画」を若くして実感して、充実した日々を過ごしました。まあ、若い人は無邪気なもんです。 さて、最近やっと北米等で金融業界のバブル崩壊再びが取り沙汰されていますが、金融界の社会への貢献とは何でしょう?答えは「掠め取り」です。 金融業界は何ら物理的製品、知財、あるいは技術的進歩を生み出すものではないので、金融工学は、要するに経済成長を前倒しで現金化する手法に過ぎません。要するにその他の人々の生産活動の成果の掠め取りです。 又、アメリカの製造業の空洞化を見ると良く判りますが、あらゆる階層に恩恵をもたらして技術力・Know How蓄積も助ける経済活動は、製造業に他なりません。金融業は、ひとしずくの大儲けする者共を生み出すだけです。 以上の理解の結果、今後リーマンショックの二の舞の経済危機が訪れても、日本経済は底堅いと思います。何故なら、製造業の裏打ちがあるからです。 日本の素材産業・加工業・組み立て産業には

我が人生の後悔。藤沢市の公立中学生の私は、無能な教師共へ卑しく迎合(内申点欲しさ)した。藤沢市立中学に勤務していた日体大学出身のOS。

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人には誰しも恥と感じている過去の事象がある筈です。まあ、これを感じないお目出たい方々が、社会で成功者になるのかも知れません。何れにしろ私は、45年前の藤沢市の公立中学在学中の自分の態度を恥ずべきものだったと回顧します。 1970年代の神奈川県の高校入試は、悪名高い「 中二の三学期成績 +中二末アテスト+ 中三の二学期成績 +入試」という「神奈川方式」による評価でした。いまから思いかえしても厭らしい制度なのですが、要するに中学の内申点を入試評価に加えることで中学教師の権力を維持し、更に中二末のアテスト(Achievement Testという、入試に類似した神奈川県統一試験)を評点に加えることで、中二の段階から高校入試を意識させて生徒をコントロールし易くする、中学教師の恣意性を存分に尊重した制度でした。 例えこの制度であっても、公立中学の教師の質が良ければ何ら問題ないのですが、馬鹿げたことに当時の藤沢市公立中学の教師の質は絶望的に低かったのです。 私は市立小学校を卒業したのですが、教師の質は万遍なく優れており、更に生徒の資質向上に尽力して下さる担任教員に私は大変感謝していたので、当時、公立中学への進学に何ら不安はありませんでした。 然しながら、残念なことに公立中学は「動物園」でした。海沿い辻堂寄りに住む生徒は粗暴で低能と言うべき者が多く、教師も日教組に染まった左派無能の集まりで、鵠沼の住宅地にあった小学校と比較して、中学校の授業内容は劣悪でした。 これらにも関わらず、上位の県立高校への進学を志向する私は、恥ずべきことに、中二の二学期以降、無能な教師共へ迎合する道を選びました。要するに教師の質には目をつぶって、ひたすら各科目の授業担当教諭に胡麻をする態度を採ったのです。この結果、私の中二の三学期内申点はフルスコアに近く、アテストも満点近くだったので、私は中三を迎える前に既に県立湘南高校の合格は間違いなしの状態になりました。良かったね。 でも虚しいことで、県立湘南高校に進学した後、真の能力が露呈した低能の私はパッとしない成績のまま内向的な高校生活を送り、浪人しても学力は伸びず、パッとしない大学に進学しました。 これらの後日談は私の実力だから構わないのですが、公立高校入試制度の虎の威を借りた中学教師共の卑劣な言動は、45年前を思い出しても許しがたいものでした。 特に、日体大出

私の自炊。サニーレタスのチーズ卵炒め、生ニラサラダ、キノコ鍋、サラダ、カップうどん応用の焼うどん、レトルトカレーの目玉焼き乗せ、そして餃子の卵とじ。山梨県北杜市の太陽光発電。

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私は日本と中国で、合計15年程度の単身赴任生活をして来ました。但し、佐賀に住んでいた際は飲食店が安くてとても美味しかったので、殆ど外食しておりました。反対に、山梨県北杜市では飲食店が壊滅的に少なかったので、ほぼ毎日自炊しておりました。 全然関係ないけれど、山梨県北杜市では最近、太陽光発電への反対運動が起きているようで、私が居住していた白倉市長時代(太陽光発電を大歓迎していた)を思い出すと隔世の感を覚えます。ほんの10年で善悪が入れ替わるんですから、長生きはしてみるものですな。 昨年7月から練馬区の自宅で妻と同居しておりますが、色々な事情によって自分で食事を準備する場合が半分以上です。しかしながら単身赴任生活が長かったので、全く不自由を感じておりません。恐らく、私の食生活への要求水準が極めて低いのが、不自由を感じていない理由と思います。 抑々、近代日本の極めて恵まれた食環境下で、食べ物に文句を言ったら天罰が下ると思います。 中国で7年過ごした私は、食べ物が美味しい日本に生まれて良かった、と八百万の神々に感謝します。 中国でレストランに行くと、どんなぞんざいな食べ物が出てくるか、何時もビクビクしていました。ロシアンルーレットみたいですね。食べる前にお腹が痛くなりそうです。 全然関係ないけれど、北京駐在の時、横断歩道で突っ込んできた車に足を挽かれた同僚が居たのですが、運転手に「危ないじゃないか!」と怒られたそうです。 以下に最近の私の得意な自炊料理(尚、私が作った料理は私だけが食べる)を記録しておきます。 ①サニーレタスのチーズ卵炒め:先に冷凍ミックスベジタブルをラップに包み、電子レンジで解凍。小さなフライパンで目玉焼きを作る。上に千切りチーズと解凍済みミックスベジタブルを載せる。 更に洗ったサニーレタスを無理やり乗せる。フライパンに鍋蓋をして、目玉焼きとサニーレタスを蒸し焼きにする。 サニーレタスに熱が通ってシナっとしたら、ソースとドレッシングを掛けて頂く。 ②生ニラのサラダ:日本人がニラを生で食べないのは不思議。ニラを適当に洗って適当に切って、辛いドレッシングを掛けて生のまま頂く。生ニンニク千切りと一緒に食べると更に美味。ニラはこれからが旬で、安くて美味しい。ニラは卵と炒めても美味。 ③キノコ鍋:キノコは屋内生産なので、価格が天候の影響を受けず、一年中何時でも安い優秀

関東大震災から100年。3,000万人都市である東京における首都直下型地震(M8程度)の被害。間隔は最長200年。死者数は最大でも3,000人程度と予想。

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  今年2023年は関東大震災(M8程度)から100年が経過しました。 首都圏の真下にある震源はひずみパワーを貯めているので、最長200年の間隔で 首都圏では大地震(M8程度)が起きます。 必ず再び訪れる首都直下型地震による被害内容を推測します。 100年前の関東大震災(死者10万人)による死因は主に火災による 焼死 、25年前の阪神淡路大震災(死者6,000人)による死因は主に 圧死 と小規模火災による 焼死 、10年前の東日本大震災(死者2万人)による死因は主に津波による 溺死 でした。 次回の首都直下型地震の被害内容は以下3つと推測します。結論を先に言うと、 いずれの死者も大変少ない 筈です。 ① 焼死 :阪神淡路大震災の頃は熱帯魚飼育が流行していて、震災で水槽が壊れた後で電気が復旧した時、水を失った水槽でサーモスタットが異常過熱して、火災が多く発生しました。幸い、熱帯魚飼育は流行が終わったので、この型の火災発生は少ないと思います。 更に、最近のガスメーターには震災遮断装置が付いていますから、ガスによる火災のリスクは低いです。住宅に使用される建材の耐火基準も以前より厳しくなっています。 しかし、消防車が入れないような細い路地奥の、密集し老朽化した木造住宅群で起こる火災は、延焼を防ぎようがありません。 このような 密集した住宅群は今でも首都圏内に点在しているので、これら地域では火災が起きて焼死者が出ます が、人数は少ないです。 川崎と千葉の湾岸にある石油精製・石油化学・製鉄所では、化学反応の緊急停止と可燃物の漏洩により、当然ながら大規模な火災が発生します。しかし死者は数名です。工場内で働いている人は災害対策をキチンとやっており、命を懸けて火災の拡大を防ぐからです。 ② 圧死 :関東大震災および阪神淡路大震災の時と同様に、老朽化した木造住宅は倒壊します。しかし、幸い木造住宅は軽いので、圧死は意外と少ないです。 又、阪神淡路大震災の後に「耐震改修促進法」が施行されたので新築の建造物は丈夫になりましたし、高速道路や老朽化したコンクリート建築物で積極的に耐震強化工事が実施されたので、圧死の数は少ないと予想します。 一方、 1981年の建築基準法改正前の築年で、耐震強化工事をしていないマンションにお住いの方は、震災時の圧死リスクを納得した上で住み続けて頂きたい です。 私