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入会一か月で鍼灸整骨院を退会。美味しい飲食店は何故美味しいのか?

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10年近く前から悩んでいる大腸過敏症(具体的な症状は下痢)に対して、処方薬に頼らない解決法は無いかと思ってご近所の鍼灸整骨院に一ヶ月ほど前から通い始めました。 しかしながら、鍼灸治療を受けたのは3回だけです。何故なら、私の身体が鍼灸治療の副作用に打ち勝てなかったようで、治療のたびに発熱や体の怠さで寝込んでしまったからです。 客観的に見て馬鹿げているので、退会することにしました。若い鍼灸師の方は私の体調の履歴を聞いた挙句に、色々検討の末に鍼灸治療をしてくれていた様子でしたが、結果として鍼灸治療を受ける度に私が寝込んでいたことから、彼の努力は私の体質に合致していないと判断すべしと思いました。 お話は全く飛躍しますが、私の経験から判断すると、調理人が料理が下手な飲食店では、料理が美味しくないようです。これは材料コストや注文する料理の選択の問題ではなく、料理人の料理が下手な飲食店の料理は、全て味が「ボヤーン」としています。 私が山梨県に住んでいた時、単身赴任だったので近隣の飲食店で盛んに食べ歩きをしました(別荘地みたいな土地だったので、車で食べ歩きしました)。その際、ざっけない町中華の店(所在地は森の中)なのに何故か味が「ボヤーン」としている店があって、どうしても納得出来なくて何度も通いました。 材料は普通に見えました。注文する料理も色々と変えてみたのですが、どうしても美味しいと思えないのです。致し方なく、この店の料理人は料理が下手なのだと判断しました。山梨の別荘地みたいな土地だったので、訪れる飲食店のVarietyには極めて制限があり(町中華のお店は貴重だった)、何とかしてこの町中華の店の料理を美味しいと思いたかったのですが、何とも腰抜けな味でお手上げでした。 この店の料理人は先代の息子のようで料理人はお若い様子で、先代の奥さん(料理人にとっては母親)が店を仕切っているように見えました。この女性のスタンスは「お客よりもお店が大事」のように感じたことが何度かありました。要するに嫌な店です。 この点も、この町中華の店の味のキレとか深みが全然不足している理由だったのかも知れません。 私はサラリーマンに全く適性が無かったので60歳で社会人生活からリタイヤして、今はリタイヤ爺の生活をしております。リタイヤした者の視点から見て、どの業種にも適性、或いは向き不向きがあることを、今更なが

Apollo 13。靖国神社 遊就館に展示されている特攻ロケット・船舶・潜水艦。Ohio州のApollo宇宙船。夏目漱石 三四郎。

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レンタルDVD屋さんのレンタル料が、気がふれている位に安くなっていることを知りました。レンタル料は何とDVD一枚/50円です。 私の自宅でもNetflixを契約しているのですが、TVが置いてあるのは自宅一階Living Roomで、そこは妻の居住エリアなので私は近寄ることが出来ません。 私は専ら自宅二階で生活しており、映画は自室PCでDVDを鑑賞しております。 最近、所有DVDを自宅二階の自室PCで観尽くして、物足りなさを感じておりました。 従って、先週からレンタルDVD屋さんに毎日通って、1990年代~2010年代公開で人気があった洋画DVDを盛んに借りております。 Apollo13というDVDを借りました。Tom Hunksが主演で、1970年のApollo打ち上げに関する映画なのですが、そこに出てくる宇宙船の機器がアナログで前時代的なことを感銘を受けました。 この感銘は、靖国神社の遊就館に展示されている特攻ロケット・船舶・潜水艦を見た時に感じたもの、及び北米Ohio州でApollo宇宙船の現物展示を見た時に感じたものと一緒です(Ohio州には数か所、Apollo宇宙船の現物展示を見られる場所があります)。 アナログで不正確な重機器に命を委ねるのは、物凄く嫌だなぁと思いました。 だって、PC制御のマシニングセンタ削り出し機の無い1970年代は、宇宙船の接合部分の精度も人手任せだった筈で、米人の現場作業の方に仕事の精度を求めるのは酷なので、接合部分から空気が逃げないことは賭けみたいなものだった筈だからです(実は熟練作業員に任せた方がPC制御よりも精度が高い、と言う本当の話は省略)。 靖国神社の遊就館に展示されている1940年代製造の特攻ロケット・船舶・潜水艦の時代はなおさらで、第二次大戦中に(特攻に限らず)兵器に搭乗した方々の命は、実験モルモット以下の安い価値と思われていたのだろうなぁと思います。 私が新卒以来、昨年まで勤務していた会社が、政府系ファンドに売却されるようです。微力ながら私が従事してきた事業部門が、これを機に肉屋よろしく切り売りされるのだろうと予想します。事業を売り買いするスタンドプレーはカッコいいけれど、事業部門とそこに従事する社員をコツコツと現場で育てるのは、並大抵の苦労ではありません。 日本も欧米みたいな嫌な国になって来たなぁ、夏目漱石が三四郎

大規模な商業施設(ショッピングモール)の集客力低下は明らか。平日の客の居ない衣料品・生活雑貨の店には、里山の野生動物が出現する恐れあり(ウソ)。ゲーセンは宴のあと。

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私には理解出来ないものが沢山あります。 ①パチンコ・スロットの運(儲け確率%)は経営者側に握られているので、全ての人が掛け金以上に儲けることは出来ません。少数の儲けた人は、耳学問を主なソースとした研究熱心の成果を享受しているのだと思いますが、人品を卑しくするような無教養なものに多大な時間を注ぎ込んで得るものとして、パチンコ・スロットの儲けはあまりにも少ないです。 ②競馬・競艇・競輪について、上述①に比べれば研究の成果として儲け確率%を上げる余地は大いにありそうですが、しかしながら公営ギャンブルなので、払い戻し金額は常に「掛け金*確率」よりも低いです(当たり前)。それなのに熱中する人が多く居るのは、ギャンブルには、理屈で説明出来ない魅力があると言うことなのだと思います(漢のロマンでしょうか、知らんけど)。 ③私の年代では、高校生の時にスペースインベーダーの大流行がありました。当時、神奈川県の貧相な繁華街(藤沢や大船など)の駅近辺には、ドリンク無料のスペースインベーダー喫茶が沢山あって、高校生が多く集っておりました。経営者は大概ヤクザでした。 現在、ゲーセンの人気は一時に比べて格段に下落したようですが、今も残るゲーセンの空間には、40年前の高校生の時に見たスペースインベーダー喫茶に良く似た、まがまがしさや薄汚さを強く感じます。但し、今日のゲーセンは壊滅的に客が少ないです。 最近、病み上がりの私は平日に自宅近辺を徘徊することが多いのですが、大規模な商業施設(ショッピングモール)の集客力低下は明らかです。平日の商業施設でポツポツと客を見かけるのは、食料品売り場・ゲーセン・食べ放題の飲食店・1,000円床屋ばかりと言う体たらくです。これらを貧乏人コロニーと呼ぶ人も居るらしいですが、全く失礼な話です。 中でも、衣料品・生活雑貨の店には人の気配が全く無くて、歩いているのは何も買わない年寄りばっかりです(私を含む ❤ )。鹿・狸・狐・アライグマ・ハクビシンといった都内の里山に住む野生動物が、これら客の居ない衣料品・生活雑貨の店に入り込んでくることを心配しています(ウソ)。 これら人影の薄い平日の大規模な商業施設の中で、ゲーセンには多少の客が居るのですが、何とも楽しくない、落ちこぼれの巣窟のような雰囲気が蔓延しています。 実は中国でも大規模な商業施設は集客に苦戦していて、店の撤退した

すかいらーく系列 しゃぶ葉でランチ 豚バラ食べ放題コース 1,539円(税込み、16:00まで時間無制限、60歳以上は更に100円引き)。60歳過ぎて独りで食べ放題に行くのは止めようと思った。

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本日は午前中にテニススクールのレッスン1時間半で軽く体をストレッチした後、お昼ご飯は自転車でしゃぶ葉の食べ放題に行きました。「しゃぶしゃぶ」と言いつつ、客観的に言って中国火鍋なので、久しぶりに(下品な)中国火鍋を食べてみようかしら ❤ と思ったのがきっかけです。 豚バラ食べ放題コース1,539円で、お肉は豚バラと鶏肉が食べ放題、野菜・ライス・カレー・スイーツも食べ放題です。ドリンクバーは別料金です。 付けダレも選び放題なので、火鍋のスタンダードで胡麻ダレとポン酢を何度もお替りしました。豆板醤や麻辣も準備してあり、付けダレは特に美味だと思いました。 お肉は豚バラは美味、鶏肉も美味でしたが鶏肉はお鍋に入れると随分と小さくなって食べ応えが無いので、専ら豚バラを何度もお代わりしました。 食べ放題のしゃぶしゃぶ用野菜も種類豊富で、私の好きなキノコはシメジ・エノキ・キクラゲという品揃えで充分、緑黄色野菜もレタス・オクラ・長ネギ・ニラ・白菜が揃っており、充分満足しました。 ライスとかソフトクリームの類も食べ放題だったのですが、火鍋と一緒にこれらのものを食べるのは中国火鍋の常道から見ると邪道だと違和感を覚えたので、敢えて食べませんでした(炭水化物として、マロニーみたいな麺類は2度お代わりした)。 しかしながら、既に61歳の私は肉も野菜も沢山食べる訳ではないので「もっと美味しいものをチョッピリ食べたいなぁ」なんて不埒な思いが心に浮かんで来たので、「お前は何のために食べ放題に来たんだ!」と自分をビンタしたくなりました。年は取りたくないものです。 午後は、老眼が進んだので新しいメガネを作りに行ったり(近眼メガネの度数を下げて作り直して、本を読むときに目が疲れないようにした)、いつの間にか激安(旧作DVDは50円/二週間!)になったDVDレンタル屋に行ってDVDを借りてきてダビングしたり、自宅近所にある閉店間近の大きなショッピングモールを探検したり(私は、人の少ない所に行くのが好きな、気味の悪い性癖です)、要するに無益な雑用をして過ごしました。 最近の1か月位の期間、流行り風邪で大人しくしていたので、人生が終わらないうちに急いで活動を活発化しようと存じます。2023/6/20

The CarsのRic OcasekもBenjamin Orrも東欧がルーツだった。長年感じていた違和感の理由が判った気がした。

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1980年代前半の洋楽全盛時代に学生だった私にとって、ポップスと言えば洋楽でした。中でも、MelodyがCatchyでLyricsがCoolなThe Carsはとても好きでした。「売れなくなったから解散する。」という態度も、才能が尽きた後もお金のために駄作を量産し続けるグループも多い中で、とても格好良いと思いました。 一方、アメリカ文化に触れる機会が多かった私は、The Carsの二枚看板であるRic OcasekとBenjamin Orrについて違和感を禁じえませんでした。「あんな奇妙な顔の奴らは、一般アメリカ人の中には絶対に居ない。」のです。最近、Wikipediaで両名の両親が共に東欧にルーツを持つ移民であることを知り、やっとタブーを含めた長年のモヤモヤが晴れた気がしました(因みに、これら彼らの人種的ルーツ情報がWikiperiaに記載されたのは最近のことです)。 アメリカでは白人、黒人、ヒスパニック、アジア人といった大きなくくりの人種差別だけでなく、白人の中でも出身地域による差別があります。特に東欧出身者への差別は、陰険で根強いものがあります。アメリカ人は金持ちを称賛し貧乏人を蔑視する傾向が強いので、言語のハンディキャップによって貧しい暮らしをしている東欧からの移民を見下す有様は、いたたまれない程の過酷さです。 これは、アジア人である日本人が、欧米人をチヤホヤする癖にアジア人に対しては掌を返したように冷淡に接するのと同じです。要するに白人内の近親憎悪です。 話は横道にそれますが、日本人が欧米人に異様に友好的なのは、戦後のパンパン風俗が日本人の本質になっている証拠だと思います。パンパン上がりの人は、今日の日本人の中に沢山居ますからね。 司馬遼太郎が「捕虜生活をした者は、一生その軛から抜け出せない。」と言った通りです。逆の例ですが、私の母親は戦中に上海で生活していた時に女中を使っていたので、母親は生涯その鼻持ちならない優越意識が染みついた人でした。 上述の通り、私がThe Carsを好きな理由は彼らがCoolだったからなのですが、実際は東欧にルーツを持つRic OcasekとBenjamin Orrが、アメリカ国内の東欧系への差別に抵抗するために、才能と美貌だけを武器にしてアメリカの世間と戦っていた姿が、餓鬼の私から見るとCoolに見えていただけなのかも知れない

1980年代、地方都市ではイトーヨーカドーとファミレスが輝いていた。2023年の今、何故彼らが地方都市で輝きを失ったのか考えた。

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Unabomberと言われた北米の連続爆弾事件の犯人 Theodore John Kaczynski 81歳が獄中で死亡しました。彼は1970年代後半から1990年代にかけて北米内で複数回の爆弾テロを行った犯罪者ですが、厄介なのは彼が数学の天才で、ハーバード大学に飛び級で入学した特待生だったことです。 天才は必ずしも社会の発展に貢献しないし本人も幸福になれない、と言う事実は衝撃的なことで、社会の信頼の拠り所が破壊されたと感じました。 この事件は、北米でRobin Williams、Matt Damon、Ben Affleckが出演してアカデミー賞を受賞した「Good Will Hunting」の主題(天才と社会双方にとって幸せな、天才の生き方はどうあるべきか?天才の社会的効用にメリットを求めるのは奴隷搾取と同じではないか?)になっています。 私がUnabomberの死亡に際してショックを受けたのは、当時あれだけ社会に対して、その価値観を揺るがす衝撃を与えた事件の当事者が亡くなったのに、今日の世間は全く無関心で、世間は何時ものようにゴミみたいな些細なニュースや芸能ニュースに夢中だったことです。 畢竟するに、ニュースなんて世間に不要なんだな、世間は自分のことにしか関心が無いんだな、と再確認した次第です。 お話変わって、私は1980年代前半までの学生時代まで、神奈川県藤沢市鵠沼の実家に住んでおりました。尚、母親の認知症が進んだので、実家は2年前に売却済みです。2023/5月初めに母親の葬儀に際して藤沢駅近隣ホテルに宿泊して、学生時代に慣れ親しんだ藤沢駅周辺を歩き回ったので、その時に気が付いた1980年代と現在の違いについて、2点気が付いたことを記録します。 1980年代、地方都市の藤沢ではイトーヨーカドーとファミレスが輝いていました。2023年の今、何故彼らが地方都市で輝きを失ったのかを考えてみたのです。 ①インターネットのお陰で、情報が居ながらにして誰でも入手可能になったこと。 1980年代、情報や教養はそれが提供される現場に行かないと入手出来ないものだったので、誰もが忙しく様々な場所に移動して、情報や教養を入手する必要がありました。今日、安いPC一台(および少々のお金)があれば、大抵の情報や教養は入手出来ます。 更に1980年代、「現地に行かないと判らない」ことが極め

Dead men tell no tales.死人に口なし。Out of sight, out of mind. 去る者は日日に疎し。The winner takes it all. 溺れる犬は石もて打て。

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歌舞伎俳優が両親と無理心中を図った件が話題です。私の関心は以下2点です。 ①自殺ほう助は犯罪なので、生き残った歌舞伎俳優は法に則って処罰されるべし。万が一、処罰されなければ、日本は法律無視の国に成り下がる。 ②抑々、競争原理の働かない門閥支配の芸能など馬鹿げている。この中で守られた歌舞伎役者が馬鹿で下種なことは誰でも知っているのだから、これを切っ掛けとして歌舞伎は廃れるが良い。 文藝春秋が歌舞伎擁護の記事を掲載しているのは残念至極です。最近の文藝春秋は、高齢の読者に媚びるあまり価値観が右往左往している腰抜け雑誌です。これでは朝日新聞と同類で、早晩滅びるでしょう。菊池寛が草葉の陰で泣いています。 以下、私が会社員の時分の思い出話です。私が勤めていた会社は卑怯者が多かったなぁと思います。 1)Dead men tell no tales. 死人に口なし。 異動済みの担当者に責任を擦り付ける場面に何度も遭遇しました。毎度ビックリしました。死人に口なしですな。 2)Out of sight, out of mind.  去る者は日日に疎し。 上司が担当を離れた途端に、つい先日まで散々媚びへつらっていた癖に、一転してその上司の悪口を言う輩に遭遇しました。ビックリしました。去る者は日々に疎しですな。 3)The winner takes it all.   溺れる犬は石もて打て。 或る役員が私の非を攻め立てた途端に、今まで何も言わなかった関係者全員がうち揃って私を攻め立て始めました。ビックリしました。溺れる犬は石もて打てですな。 以上3例共に、関係者は早晩地獄に落ちます。残念ですね。2023/6/10